「コレクター鈴木常司『美へのまなざし』」展美術の力を思い知った経営者

2013/1/11

わが子を胸に抱き、目を閉じて祈りを捧げる女性の姿が描かれた一枚の絵画。静けさを呼ぶ青が支配したその画面と向き合っていると、祈りが自然と心に染み入るように受け止められる。20世紀を代表する画家、パブロ・ピカソの「海辺の母子像」である。この作品が展示されているのは、神奈川県箱根町のポーラ美術館で開催中の「コレクター鈴木常司『美へのまなざし』」展。鈴木常司(1930~2000年)は、化粧品会社であるポーラ創業家の二代目経営者だ。西洋の印象派や20世紀絵画、日本の明治以降の洋画や日本画、工芸品そして化粧道具。幅広いジャンルにわたる約9500点にも及ぶ同館の収蔵品のほとんどは、生前の鈴木が収集したものだという。中でも「『海辺の母子像』は鈴木にとって特別な存在だった」と同館の荒屋鋪透館長は話す。

パブロ・ピカソ「海辺の母子像」(1902年、油彩、カンバス、81.7×59.8センチ、ポーラ美術館蔵 (C)2012-Succession Pablo Picasso-SPDA(JAPAN))

ピカソが「海辺の母子像」を制作したのは、スペイン・バルセロナからパリに進出したばかりの頃だった。その5年ほど後に描いた「アヴィニョンの娘たち」(1907年、ニューヨーク近代美術館蔵)でピカソは人間の顔をつぎはぎにしたような衝撃的な作風を生み出し、新たな一歩を踏み出す。「海辺の母子像」は、いわばピカソが絵画の世界で革命を起こす前の時期に描いた作品だった。

青を基調とする表現をピカソは当時この作品以外でも試みており、画家の生涯を見渡す中でこの時期は「青の時代」と呼ばれている。20代前半にして熟達した描写力をあらわにし、叙情性を個性的に描き出したこと、現存する作品が希少なことなどから、美術市場ではこの時期のピカソの作品は極めて評価が高いと聞く。この作品自体、1967年に米国でオークションに出品された時には、当時存命中のあらゆる画家の最高落札価格の記録を更新したそうだ。

藤田嗣治(レオナール・フジタ)「誕生日」(1958年、油彩、カンバス、61×50.2センチ、ポーラ美術館蔵 (C)ADAGP,Paris & SPDA, Tokyo, 2012)

荒屋鋪氏は「鈴木は仕事で決断に悩むとしばしば、会社の自分の部屋にかけていたこの絵の前に立ち、じっと眺めていたらしい」と話す。鈴木は寡黙な人物であり、美術品のコレクションに関することについても語る機会はあまりなかったという。寡黙だからこそ、絵と対話をしたのだろうか。この絵を眺めていると、そんな鈴木の気持ちを推し量ってみたくなる。

鈴木がポーラの経営を父から継いだのは突然のことだったそうだ。父急逝の報に接したのが米国留学中の1954年。留学を中断して帰国し、すぐに社長に就任したという。当時20代前半の若者だった鈴木には、なかなかの重荷だったようだ。一方、美術品の収集を始めたのは1958年、静岡県の百貨店でのことという。入手したのは、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の「誕生日」と荻須高徳の「バンバラ城」。ピカソの「海辺の母子像」をコレクションに加えたのは、それから20年以上後だった。

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