「日中誤解」3つの法則 歴史が示す不信解消のヒント
尖閣問題に端を発した日中間の対立が長期化している。中国船舶の周辺海域への航行は続き、歩み寄りの糸口が見えてこない。ただ両国の応酬はこれまでもなかったわけではない。2005年における国連安保常任理事国入りを巡る反日デモ、10年の中国漁船の衝突――。そのたびに中国側は日本の「軍国主義の復活」を言い募り、日本は中国の「愛国教育」に原因を求めて議論がかみ合わない。日中の研究者らは両国間の歴史的な誤解が対話に水を差していると指摘する。相互不信をエスカレートさせる3つの法則を追った。
■法則1・「日中友好」の誤解
11月に東京・本郷の東大キャンパス内で開かれた「日本華人教授会議第9回シンポジウム」。程永華・中国大使も出席し重苦しいムードの中、教授会議代表の朱建栄・東洋学園大教授は「大局に立った行動を」と声を張り上げ、学術会議など民間交流の継続を訴えた。
一方で日本側パネリストの服部健治・中央大教授は「『日中友好』を趣味でやりこなせた時代は終わり」と言い切る。日中協会の常務理事でもある服部教授の見立てによれば、経済などの自然の交流の成り行きに任せて「日中友好」と唱えているだけでは立ち行かなくなった、というわけだ。
そもそも日本と中国はそんなに仲が良かったのか。両国の交流を「日中友好二千年」と呼ぶことがある。しかし緊張と警戒が解けた時期はそう長くはなかったようだ。
劉傑・早稲田大教授は「江戸時代から今日の約400年間を考えても、平和で対等な状態の中で大規模に交流できたのは1972年の日中国交回復以降の二十数年間」と厳しく分析する。「徳川幕府は鎖国、中国・清王朝も海禁策で交易は限られていた。近代は戦争や不平等条約、国交のない状態が続いた。どのように付き合えば良いのかのノウハウを両国は持っていない」
京都府立大の岡本隆司准教授は「反日の源流は明代・15世紀の『倭寇』まで遡る。中国の愛国=反日というのは近代史の過程ではごく常識的な現象」と説く。
岡本准教授は「1905年」という年に着目する。日露戦争の結果、中国からの日本留学が増加し清朝政府内で近代的な「国家」という概念が定着した。さらにロシアを始め欧米列強の中国における利権を日本が継承し、愛国主義、民族主義が高揚した。「領土、主権、反日、ボイコットの概念が中国で同時に認識されるようになった」と分析する。
日本が中国の利権に固執し、勢力を拡大しようとすればするほど反発が増幅する構図が始まったという。「歴史的に反日とデモは結びつきやすい」(岡本准教授)。「日中関係は焦らず長い目でとらえる必要がある」としている。
■法則2・「近代の被害者」の誤解
日中融和のヒントを近代史から学ぼうという動きも出ている。朱建栄教授は「中国の近代史観は一種の被害者コンプレックス」と説く「中国外交」(PHP研究所)を出版した。北京大学など中国における最新研究を取り入れながら「自らを過信した清朝の国際的な無知が欧州諸国の侵略を招いた」というのが朱教授の視点だ。
日本が中国に侵略したのは動かしようのない事実。しかし、朱教授は中国が横暴な欧米列強や日本にいじめられたというとらえ方に対して「中国が責任ある大国を目指すには、侵略を受けたという屈辱感から脱却するのが必要だ」と指摘する。中国自身も我が身を振り返り、その上で21世紀の国際的立場を築いていくべきだと強調する。
なぜなら中国側の対外不信の心理や被害者意識、パワーポリティックス重視の考えが「逆に日本や諸外国の中国誤解につながっている」(朱教授)とみるからだ。
内部の混乱から目をそらすため排他的ナショナリズムをあおっている、中華思想にとらわれている、国際社会のルールを理解しない――などは中国の対外認識のちょうど裏返しだという。
朱教授によればここ10年間で中国国内の知識人に対する雰囲気が変わってきた。「上海の大学などでは比較的自由に研究できるようになってきている」。それでも「尖閣問題は野田佳彦首相と石原慎太郎前都知事が談合し国有化にもっていくように芝居を打ったと信じている中国人が少なくない」としている。「日中をいつまでも侵略者と被害者と決め付けるだけでは相互理解が進まない」(朱教授)
日中双方の情報ギャップも大きいようだ。「周作人伝」(ミネルヴァ書房)を出版した東京工業大の劉岸偉教授は「中国人は日本のODA(政府開発援助)でインフラ整備が大幅に進んだことを知らない。日本人は今も旧日本軍が残した不発弾で死者が出ていることを知らない」と話す。
著名な知日派文人だった周作人は清、中華民国、中華人民共和国の3時代を生き、時には他国に通じた「漢奸」との非難を浴びた。「『漢奸』という言葉は現代中国でも生きている。日本に対する姿勢次第では漢奸呼ばわりされかねない」(劉岸偉教授)
早大の劉傑教授は専門誌「外交」(外務省発行)や「現代思想」(青土社)に寄稿し「日本は台頭していく現在の中国を見ながら発言し、中国は過去の歴史から日本を非難する。これでは議論がかみ合わない」と両国の相手に対するイメージの隔たりについて指摘した。
劉傑教授は今夏、ベトナムから研究者を招いて歴史認識について討議した。「ベトナムの歴史教科書は中国からの侵略とどう戦ったかの記述が中心」。劉傑教授は「アジアでは誰もが侵略者で同時に被害者」と結論付ける。「歴史認識を深めるためにはアジア地域全体で取り組む必要がある」としている。
■法則3・「膨張する中華」の誤解
「日中関係を2国間だけでみるのが誤解のもと」という劉建輝・国際日本文化研究センター准教授は「日中二百年」(武田ランダムハウスジャパン)を出版した。
1900年代からの100年間でみると日中は戦争と侵略、抵抗と反撃が中心の歴史になる。「200年の長さでみると西洋化の流れにどう対処するか、両国が補完し合ってきた実像が見えてくる」(劉建輝准教授)
19世紀に上海などで発行された漢訳洋書が長崎に入り、幕末の日本に流通した。20世紀初めの中国人知識層による自画像は日本における中国論をそのまま輸入、反映したものだった。谷崎潤一郎や横光利一ら小説家は反日運動のさなかに訪中し文学的評価の高いエッセーや小説を発表した――。
さらに劉建輝准教授は「中国は1つでない。地域によってさまざまだ」と断じる。「日本に対する態度も地方ごとに違う。戦争の被害が大きかった場所は厳しいが、自分が生まれた遼寧省はそれほどでもない」としている。「中国が一丸となって世界に影響力を拡大させていくというイメージは実際とだいぶ違う」(劉建輝准教授)
「清朝と近代世界」(岩波書店)の著者、東大の吉沢誠一郎准教授は「9月の反日デモは1919年の『五・四運動』と共通点を多く持っている」とみる。五・四運動の当時も反日デモ、日本製品へのボイコットがあり、加えて親日とみなされた官僚の邸宅が焼き打ちされた。北京の日本公使から東京・外務省への報告には、見て見ぬふりをする中国政府の危機管理能力の無さに対する憤りがつづられていたという。吉沢准教授は「政治も法律も正義を実現できないときには集合的な直接行動は正当であるという考えが中国側には広くあった」という。
ただ吉沢教授によれば当時も「法律に従って暴動参加者を処置するのが望ましい」と主張した知識人の文献が残っているという。「現在も暴力行為を否定する意見がネット上などで見られる。当時の空気とかなり似ているのではないか」と分析している。
朱建栄教授は「9月のデモに上海の華東師範大など学生は参加しなかった」。今日の中国社会はこれまで伝えられてきたような一枚岩のイメージではないと指摘する日中の研究者は少なくない。中国共産党幹部とエリート層、オピニオンリーダーや知識人、学生、一般人らとの間で対日認識のズレが広がっていそうだ。
中国では日系の自動車工場や大型スーパーが再開されつつある。経済関係を中心に徐々に今夏以前の状況に戻るのだろうか。
しかし東大の川島真准教授は「かつての日中戦争は両国の経済関係が一番緊密な時期に起きた」と警鐘を鳴らす。「当時はパスポート無しで日中が行き来できた時代だった」(川島准教授)。
対中投資や対中輸出が増大するとデモが起きるという見方もできるという。川島准教授は2020年、30年の双方の国力と国際関係をシミュレーションしながら対処していくことが必要だと強調する。階層によっても地域によっても異なる性格を持つ中国社会に目を向ける。「中国政府とだけではなく、中国国内の多様性を見据えてさまざまな組織と関係を築いていくべきだ」としている。
日本と中国の地理的関係は変えようがない。一方、東アジア地域は今後も世界経済の成長センターの1つとしての役割が期待されている。思い込みや不確かな情報などに惑わされない隣国との冷静な付き合い。歴史からくみ取る教訓はまだまだありそうだ。(電子整理部 松本治人)
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