ところで私、書家・柿沼康二は1970年、芸術家・岡本太郎の傑作「太陽の塔」が大阪万博に出現した高度経済成長期に関東平野の最北端、栃木県矢板市で生を受けた。

「教える」断ち、「アーティスト」起業

父は書家。そんじょそこらの「オヤジ」ではなかった。幼少の時分にはまさか、私も書家になるとは思ってもみなかった。洋楽や洋画をこよなく愛し、中学・高校ではいわゆる「不良」、短ラン(丈の短い学生服)にスリムパンツ、ラバーソールの靴に髪の毛を逆立て、パンクス気取りで学校に通っていた。ちなみに「不良」と「ヤンキー」は違う、一緒にしてほしくない! とにかく毎日、先生と衝突を繰り返す厄介な子供だった。

やんちゃ坊主が幼少からなぜか、筆をとることに人一倍こだわっていたのは、書家である父の背中を自ずと見ていたからだろう。それが高じ、運よく16歳の若さで「昭和の三筆」と呼ばれた手島右卿に師事できた。上京し1年の浪人を経て、書道科のある数少ない国立大学を卒業した。高校で5年間書道教師を務めながら、めげずに名だたる書道界の賞取りレースで勝ち抜き、12年前にアーティストとして起業。メディア活動、海外活動……と書を道連れに、金髪の書家は42年間、半端なく突っ走ってきた。

筆の毛先の状態を確認する

ここまでは、世を見渡せば無くもない話。じゃあ、他の書家との決定的かつ根本的な違いは?と問われれば、「人に書を教えていないこと」に尽きる。ここ、案外と見落とされがちなので強調しておく。理由は実にシンプル。敬愛するアーティストの誰1人、他者に教えてなんかないからだ。永ちゃん(矢沢永吉)の「ロック教室」、北野武の「映画クラス」なんてないし、あっても困る。アーティストであって、ティーチャーではない! 書道界には、そういうアーティストが1人もいない。

書がいまだ、第1級のアートとして認知されない理由の一つである。しかし書家でありながら、いざ前例のないアーティスト型のスタイルを示そうとするには、言葉で表せない苦労が絶えなかった。人と逆行しても自分を通す、あえて難しい道を選び続けてきた。「ロックですね!」。人からよくいただく言葉に、今は何の矛盾も感じていない。

人に教えることが生業なのに、自分の都合の良いときだけ芸術家になる人たちを見て、私はどうしても「かっこいい」とは思えなかった。「アーティストとは、自分が生み出す作品で生きていく人」。逃げ場の無い状況に自分を追い込むことが私を、そして、作品を強くしてきたのだ。そこんところヨロシク、なのである(笑)。

柿沼康二氏(かきぬま・こうじ) 書家。5歳より筆を持ち、父の柿沼翠流、手島右卿、上松一条らに師事する。東京学芸大学教育学部芸術科(書道)卒業。高校の書道教師を辞し26歳で渡米。ニューヨークで個展を成功させ、2006~07年にはプリンストン大学特別研究員としてニュージャージー州プリンストンに滞在した。「書はアートたるか、己はアーティストたるか」の命題に挑戦し続け、伝統書から特大筆によるパフォーマンスまで、多彩なパフォーマンスを展開する。NHK大河ドラマ「風林火山」や北野武監督の映画「アキレスと亀」など題字も手がける。現在は柿沼事務所代表取締役社長兼所属アーティスト。1970年7月16日、栃木県矢板市生まれ。
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読者からのコメント
サブロー 60代男性 北海道
本誌の柿沼氏のコメントを読みまして、私も子供時代に10年間書道をしていたんだなと考えさせられました。今年になって再度教室に入って書を始めました。目的は年賀状を筆書きできるようになりたいからです。 級や段を目指すものでなく、自分の好きな字を書きたいと考えたのです。私の先生は楷書でなく行、草書が書だよと言われる方で、NHKで柿沼さんを見ますと、書の楽しさが分かってきて楽しい思いがします。 柿沼さんの使用する柔らかい筆は私が使っている筆と違って難しいでしょうが楽しそうですね。
まるちゃん 40代女性 神奈川県
NHKの趣味Do楽を拝見し,感動し涙し、男、柿沼康二に惚れました。 書の楽しさを思い出し、我が息子にも柿沼先生の書の精神を味あわせてあげたい気分ですが、コラムにも書いてあったので残念ですが、先生のポリシーで教授はしないとのこと… 書を通して、不良、柿沼康二とご両親との交流など聞けたら幸いです。
るか 40代女性 埼玉県
書道をはじめて30余年になりますが、私にとって柿沼さんは、今最も尊敬できる現役の書家です。「書」とは何か、「書」とはどうあるべきなのか。現状との乖離とそこから生まれる可能性や情熱は何なのか…。柿沼さんが展開される書道論、とても楽しみにしています。
とこちゃん 60代女性 海外
「アートとしての書をフランス人に理解させたい」とここ数年あがいてきました。が、中国にしか目が向かなくなったヨーロッパでは日本の存在は無視されっぱなし。なぐりがきの中国製「なんちゃって書」の方が注目されるこの悔しさ! 少なくともこの100年は中国では死んでましたからね、とかデッサンしないで抽象画を描いているようなものよ。といっても判ってもらえない...アメリカにだけ行ってないでヨーロッパにも来てください!
10代以下男性 神奈川県
たしかに、二足の草鞋で教員と書家を行っている人が大多数であると思う。しかし、書家として作品を書くことで、得たノウハウを生徒に教えることができると思う。柿沼氏が言うように、たとえ創作は、教えるものではないとしても。 結局、学ぶことと教えることは表裏一体であり、学ばなければ教えることが出来ない、教えることで自分も学ぶことが出来る。だからこそ、現代の書人は、教員でありながら書家であるのだと思う。そこを全否定する気にはなれない。
60代男性 福岡県
実家が表具師だったので小さい頃から書に親しんで来ました。小学校の時熱心な書道の先生が赴任され、子供だけでなく大人も書道を習いました。書はいつも身近なものとしてよく筆を執りましたが、あまり熱心でなかったので、上達はしていません。でも年賀状だけは筆ペンで毎年下手なりに書いています。柿沼さんをTVで知り照英さんの上達ぶりに目を見張りました。私もと久しぶりに筆を執り練習を始める気になりました。
40代男性 静岡県
まさに仰るとおり。 教師をしながら好きな道を究めるとか都合のいいことをいっていた油絵科の仲間たちに違和感を感じまくっていました。 自分はデザイナーに転向してしまったけれど、アーティストは生き方そのものだと思う。 ぐんぐんぐんと行ってほしい。
美風 30代女性 大阪府
趣味do楽で、毎回ドキドキ感動して柿沼さんの大ファンになりました。 私は仕事しながら、自分の書道をしながら生徒を3人教えています。臨書の大切さ、王羲之、空海、顔真卿、良寛さん、今までより一層、臨書してます。創作も、照英さんみたいに、すごいのかけたらいいなぁ。柿沼さんに教えてほしいです。でも、叶わない夢ですね。 今年も、淀川マラソンフルマラソンを完走しました。走ること、書道すること、柿沼さんを憧れて、走り続けたいです。 阪急の個展楽しみに待ってます。勝手に憧れさせてください。
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