関西に2カ所ある「清酒発祥の地」 どちらが本物?

2012/10/27

耳寄りな話題

酒どころといえば兵庫県の「灘」や京都府の「伏見」がすぐ挙がるほど、関西と酒は切っても切れない。ところが、縁深すぎるゆえか「清酒発祥の地」との石碑が2カ所に立っている。奈良市と兵庫県伊丹市だ。いったいどちらが本物なのか。
正暦寺に、地元の蔵元でつくる研究会が2000年に建てた石碑(奈良市)

JR奈良駅から車で約20分。山あいの正暦寺(しょうりゃくじ)には「日本清酒発祥之地」の石碑が立つ。地元の蔵元などでつくる「奈良県菩提●(酉へんに元、ぼだいもと)による清酒製造研究会」が2000年10月に建立した。裏には「……正暦寺において創醸され、その高度な醸造技術は、近代醸造法の基礎となりました」とある。

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どぶろくのような酒から「すみざけ」ともいわれる現在のような清酒が造られるようになるのは、酒造りが朝廷から寺院に移る室町時代。寺院の酒は僧坊酒と呼ばれ、正暦寺では15世紀半ば、醸造した清酒「菩提泉(ぼだいせん)」が販売されていた記録が残る。

「御酒之日記」という古文書に、その造り方が書かれている。大原弘信住職によると、生米、蒸し米、こうじの配合の割合、乳酸菌入りの「上の澄みたる水」の造り方と投入の時期、寝かせる日数が詳細に記されている。

毎年1月、菩提泉の酒母「菩提●」の仕込みが行われる(奈良市)

日記は転記され、東京大学や天理大学などにも一部が所蔵される。大原住職は「今で言う酒造りマニュアル。安定した品質の酒が大量に造れるようになった」。正暦寺では酒母に蒸し米などを3回に分け加える「三段仕込み」や、腐敗を防ぐ「火入れ」など今も使われる技術も確立されていた。

こうじとその後に加える掛米の両方に白米を使う「諸白(もろはく)」酒もここから生まれたようだ。奈良酒は「南都諸白」と呼ばれ、武将も愛飲したという。「興福寺に酒税として銀300貫目を上納した記録がある。最低でも今の3億円に相当する」と住職。売れ行きのほどがわかる。

奈良県工業技術センター、天理大学などは1998年、菩提泉の酒母「菩提●」の復活に成功。毎年1月、正暦寺で菩提●を仕込み、蔵元11社がこの酒母で酒造りに取り組む。

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