国や対立を超えて 「アイデンティティー」への問いかけ
東京国際映画祭リポート(3)
コンペには日本のほか、米国やフランス、中国、インド、トルコ、チリなど世界中から作品が出品されている。多様な国の作品が集まるだけに、人種や文化、価値観の違いから起こる対立を描いた作品も多い。作品は人間のアイデンティティーを問いかける。
ロレーヌ・レヴィ監督の「もうひとりの息子」(フランス)は子どもの取り違えを通し、対立する中東のイスラエルとパレスチナの社会を描いた作品だ。兵役のため、イスラエル軍に入隊準備をしていたヨセフ(ジュール・シトリュク)は血液検査で、自分が両親の実の息子ではないことを知る。さらに、実の両親はヨルダン川西岸出身のパレスチナ人であり、出生時にその息子ヤシン(マハディ・ダハビ)と取り違えられていたことも判明する。敵対するイスラエルとパレスチナ。祖国だと信じていたイスラエルは、実は対立する相手だった。一方、同じ事実を知ったヤシンは仲むつまじかった兄から激しくののしられる。自分たちが従うべきは「血」か「育ち」か。「国」か「個」か。少年2人とその家族はその間で悩み、迷う。
子の取り違えものは、日本でも木下恵介のテレビドラマ「わが子は他人」(1974年)など多くの作品があり、珍しいものではない。だが、対立する国と国の間にその構図を当てはめてみると、事態は複雑さを増す。象徴的なのがユダヤ教徒として育ったヨセフが救いを求め、ラビ(宗教的指導者)に自分はユダヤ人かと問うシーンだ。ラビは両親がパレスチナ人であれば、違うと答える。宗教的な対立の前では、育ちとは無関係に出自の方が優先され、信仰してきた神ですら救ってはくれない。問題は根深い。
しかし、ヨセフとヤシンは個としての交流を重ねることで、「血」や「国」の呪縛から次第に解き放たれていく。「私が出会ったイスラエルとパレスチナの人々は相手をむやみに嫌ってはいなかった。望んでいたのは、もっと自由に、普通に生活することだった」とレヴィ監督は語る。劇中の若い2人の姿は、それを具象化したものだ。相手を知り互いに尊重することで問題を超えていける。そんなフランス系ユダヤ人監督の思いが貫かれている。
「ティモール島アタンブア39℃」(インドネシア)にも、国に縛られた人々の姿が見える。監督はインドネシアを代表するリリ・リザ。インドネシア南部のティモール島は1999年に独立を問う国民投票を経て、2002年、その東半分が東ティモール民主共和国として独立した。作品の舞台は、インドネシア側の国境の町、アタンブアだ。
10代の少年ジョアオ(グディーノ・ソアレス)は、かつてはティモール島の東側に住んでいたが、国民投票を実施した際、母親を残し、父ロナルド(ペトゥルス・ベイレト)とともにアタンブアに移った。独立に反対する父が、長男のジョアオだけを連れてインドネシアに移住したためだ。国によって引かれたラインは家族をひき裂く。ジョアオは母親との絆をつなぐように、手元に残った母親の声が入ったカセットテープを繰り返し聞く。母はテープの中で父に東ティモールで家族一緒に暮らすよう懇願するが、父親は耳を貸さず、やり場のない思いから、毎晩酒を浴びて暮らす。
描かれているのは「変化に適応しようとするが、心の中では懐かしさや愛を求めて苦しむ人たち」(リザ監督)だ。国という垣根を越えて、母を思う若いジョアオと突然引かれたラインに反発を覚えながらも、縛られてしまうロナルドは一見、対照的だ。しかし、ジョアオは母、ロナルドは故郷、2人とも失われたルーツを強く求めるという点でつながっている。作品の終盤、故郷に戻ることを決めたロナルドは言う。「どんな国家もおれたちの原点を奪えない。おれはティモール人だ」。なくしたものを取り戻すことで、自らのアイデンティティーを回復する姿は力強い。
臓器移植というテーマから人間のアイデンティティーについて問いかけ、観客から拍手とともに、ため息を引き出したのはインドの新鋭、アーナンド・ガーンディー監督の「テセウスの船」だ。題名はギリシャ神話の「テセウスの船」のパラドックスに由来する。修理をするたび、船の一部ずつを取り換えていくと、最後にはすべて新しい部品となる。それでも、その船は元の船と同じといえるか。作品ではこの問いを人間に応用している。船を人間に、部品を臓器に置き換え、臓器移植をめぐる人々の苦悩と変化を描き出す。
作品では、3人にスポットが当てられる。盲目だが才能あふれる写真家は角膜移植の手術を受けたことで、視力を取り戻すが、スランプに陥る。製薬会社の動物実験に抗議する一方、移植を受けるため薬に頼らざるを得なくなる僧侶。腎臓の移植を受けるが、同じころ腎臓を盗まれた男性を知り、疑念を抱く男性。自らの一部を置き換える行為である臓器移植をめぐり、3人は生命や倫理、自分とは何かという問いに向き合うことになる。
舞台はインドのムンバイだが、ガーンディー監督が「世界中どこの都市でも当てはまる」というように、特定の地域の問題を描いているわけではない。作品は歴史上繰り返されてきた「自分は何者なのか」という普遍的な命題と生きることと死ぬことの意味を問いかける。「人間の死に対する考え方に非常に興味を持っている」というガーンディー監督。その思いがよく表れた長編デビュー作だった。
(文化部 赤塚佳彦)
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