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200兆円の宝の山? 「秀吉の埋蔵金」伝説を追う

2012/10/6

■埋蔵場所にうってつけ

記者が手にした関連資料には「○○山腹○○方二度埋蔵申候也」「○○寺境内立形前方丘見○○御旅所裏」といった文字が並ぶ。本来の文書には○のところに固有名詞などが記されている。

伝説を掘り下げていくと、必ずと言っていいほど豊臣秀吉の存在にぶつかる。同銀銅山は豊臣政権が直接支配した鉱山の一つで、大阪城の台所(財政)を潤すほどの鉱物を産出した「台所間歩」、秀吉が自らの馬印を掲げることを許した「瓢箪(ひょうたん)間歩」などゆかりの深さを示す坑道は多い。

郷土史家の谷口さんは「死期を悟った晩年の秀吉が幼い秀頼に財産を隠そうと考えたとき、条件に合ったのが多田銀銅山だったのでは」と話す。大阪に近く、石見銀山(島根県大田市)などよりは知られていない。埋蔵場所にはうってつけの場所だったのかもしれない。

■伝説にすり替わり?

さらに多田銀銅山の調査に携わる兵庫県教育委員会文化財課の山下史朗さんは一風変わった説を唱える。「豊富な鉱脈がいつしか埋蔵金伝説にすり替わったのでは」

明治に入って栄えた多くの鉱山と異なり、多田銀銅山の産出量は江戸時代前期がピークだった。このため「江戸時代の面影がそのまま残った」(山下さん)。長年放置された分、豊かな地下鉱脈が眠っているとの指摘は根強い。そこに埋蔵金伝説の影がちらつく余地が生まれたというわけだ。

大阪城天守閣の最上階に立つと、多田銀銅山を包む北摂の山並みが間近に見渡せる。「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」。秀吉の辞世の句がふと浮かんだ。

(大阪経済部 中戸川誠)

[日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西2012年10月3日付]

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