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ホンマタカシはなぜ「娘」を被写体にしたのか現代写真家入門(2)

2012/9/9

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写真を撮ることが日常になった現代、アマチュアの写真と現代写真家の作品は何が違うのか。どこからアートと言えるのか。そんな疑問に答えながら現代写真家の奥深い世界に迫る連載の2回目は、ホンマタカシを取り上げる。


「私の娘」の写真、実は…

子供の写真は強い。理屈抜きで目を引きつける。笑顔にも、泣き顔にも、仏頂面にもかわいさを感じるものだ。プロの写真家が撮ったものでなくても魅力的な「作品」にしばしば遭遇する。子供の姿ににじみ出た親の愛情を感じ取ることも多い。

ホンマタカシの「Tokyo and My Daughter」。訳すと「東京と私の娘」。掲載した1枚は、2001年の作品、すなわち11年前に撮ったものだ。ホンマは彼女を被写体にした写真を赤ん坊だった1999年から最近まで継続的に作品として撮ってきた。当然のことながら、作品を年代順に追っていくと彼女の成長ぶりが分かる。

『Tokyo and My Daughter』より(2001年) このシリーズには、ホンマ自身が写っている作品もある

さて、ここで事実を明かす。写っている少女は、ホンマの娘ではなく、ホンマの知人の娘だというのだ。初めてその事実を知って、軽いカウンターパンチをくらったがごとく、「やられた」と感じた人もいるのではないだろうか。

まるで自分の娘のように、少女の成長する様子を何年も撮り続けるホンマ。タイトルに「私の娘」という意味の言葉を含ませたことに、どんな意図があったのか。ホンマは「写真」の本質を問うているのだ。写真というのは真を写すものではなかったのか、しかし、この写真に写っているのは本当に真なのか、と。

タイトルで変わる写真の印象

多くの場合、写真は、写っていることを事実と信じるより所になる。だからこそ新聞や雑誌の記事でも写真は重要視され、カメラマンたちはこれぞという決定的瞬間を狙ってシャッターを押す。

一方、ホンマの作品から次のことが分かる。写真のタイトルは添えものでしかないはずなのに、人を混乱させる力を持っているということだ。たかが1行の言葉が思い込みを生む。それでも写真は真を写していると言い切れるのか。ホンマは人々の常識を逆手に取っているともいえる。

改めて、他人の子供だと思ってこの作品に接すると、これまでとは違ったように見えるかもしれない。写った子供にわずかながらに警戒心のようなものがある、あるいは、肉親に気を許す時に見せるような表情が欠けているなどと。しかしそんな感覚も、言葉で情報を得たゆえに生じるだけなのかもしれない。写真だけでどこまで真実が分かるのか。そう考えると写真を正確に見極めるのは、なかなか難しい。

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