世界五大バレエ団のなかで日本人として唯一主役を張る(撮影=HATAGUHCHI KAZUNORI)

ハンディ、練習で克服できると信じ

ほとんど“飛び入り”に近かった留学生が、厳しい選考を経て入った中国人と同じに扱われると思うのが無理なのだが、子ども心にそこまでの事情はわからない。

しかし、その立場を苦に思ったことはない。

「もっと頑張ればいい、そうすれば認めてもらえる、と。体形の不利も練習で克服すればいい、と思っていました。人生経験として何か得て戻ってこられればいいな、という程度の気持ちだったのですが、一度始めたことを途中で投げ出すのも嫌だったのです」

「つらかったらすぐに帰ってきなさい」と話した両親も含め、だれも最後まで続けられるとは思っていなかった。だが結局、ローザンヌ国際バレエコンクールのスカラシップ(奨学金)を得るまでの6年間を全うすることになる。

「子供って純粋ですよね」と笑う。その無邪気さを今でも保ち続けているようにみえる。

表現力磨かれた中国民族舞踊

中国の学校ではまず、しっかりした基本動作が身についた。中学くらいの年齢になると、コンクールが盛んな日本では1人で踊るバリエーションに取り組んでいくが、中国ではなかなか応用に移らなかった。

基礎とともに今でも大きな財産になっているのは表現力だという。舞踊学校は決してバレエ専門ではなく、中国の民族舞踊がカリキュラムの3分の2を占める。

「バレエクラスの子も、民族舞踊が必修です。民族舞踊は感情を出すことが何より重要ですから、これでもか、というくらい感情を出すことを覚えさせられます。あの訓練は良かったですね」

13歳を過ぎて、コンクールに出るようになったときプロを意識し始めた。その登竜門としてのローザンヌ国際バレエコンクールがあった。

出場できるのは1つのバレエ学校から4人まで。日本人留学生が好成績を残しても、中国国立の学校の教師の点数は上がらない。代表を選ぶなら中国人、というムードになっていたのは仕方がない。

しかし、加治屋さんにとっては人生がかかっていた。父親を通じて学校に申し入れると、では選考会を開きましょう、ということになった。中国人より少し上、という程度ならまず選ばれなかったはずだが、すでに圧倒的な実力が身に付いていたのだろう。日本人を選んだ結果に、どこからも異論は出なかった。

各地から選ばれてきた生徒の中には、素材としてはよくてもあまり一生懸命でない者がいた。「もったいない。なぜ努力をしないのだろう」と、そばでみていて歯がゆかった。さほど努力もしていない生徒が、先生に認められて手厚く教えてもらっていることにも納得できなかった。そうしたもやもやのすべてを「もっと頑張ろう」という発奮材料に変えた。「バレエに対する気持ちで負けていなかった、ということかもしれませんね」

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自由の大地での戸惑い