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明治の文人が愛した作曲家 ドビュッシー生誕150年

2012/8/22

 8月22日はフランスの作曲家、クロード・ドビュッシー(1862―1918年)150回目の誕生日だ。

 日本の西洋音楽の受容はドイツ・オーストリア音楽偏重と思われがちだが、実際にはフランス音楽の導入が先行した。20世紀初頭のパリでは上田敏、永井荷風がドビュッシーの代表作とされる歌劇「ペレアスとメリザンド」(1902年初演)に衝撃を受け、島崎藤村も作曲家自身のオーケストラ指揮やピアノ演奏に触れた。日本人とドビュッシーの「対話」歴は、優に1世紀を超えている。

マルセル・バシェ《クロード・ドビュッシーの肖像》 1885年 オルセー美術館蔵(c)RMN(Musee d'Orsay)/Herve Lewandowski/distributed by AMF

■「事件」に匹敵した歌劇の日本初演

 1958年(昭和33年)。「ペレアスとメリザンド」の全曲日本初演(都民劇場主催)が11月28日から12月9日までの7回、東京の産経ホールで行われた。三島由紀夫(1925―70年)もかけつけ感動を日記につづるなど、楽壇を超えての大きな「事件」となった。第2次世界大戦終結後、初めての大がかりな日仏文化交流である。

 企画したのは自らメリザンド役を歌い演じたソプラノ歌手、古沢淑子(1916―2001年)。1937年にパリへ留学。名歌手クレール・クロワザ(1882―1947年)の下でフランス歌曲の解釈を究めた。同門のバリトン歌手、ジャック・ジャンセン(1913―2002年)は日本初演のペレアス役だけでなく、演出家もかって出た。古沢は1950―70年代、日本各地でフランス歌曲研究会を主宰し、東京芸術大学や桐朋学園大学音楽学部でも後進を指導した。

■「ペレアスとメリザンド」にかけた古沢淑子

 93年に出版された星谷とよみ著「夢のあとで フランス歌曲の珠玉 古沢淑子伝」(文園社)によれば、古沢は「人に教えるだけでなく、もっと自分を満たしたい」との思いにかられ57年にパリへ戻った。ドビュッシーの音楽劇「聖セバスチャンの殉教」の初演(1911年)で合唱を指揮した経歴を持つフランス楽壇の巨匠、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト(1880―1965年)のオーディションを受けることも渡仏の目的だった。

 同年12月14日、古沢は念願かないアンゲルブレシュトが指揮するフランス国立放送局管弦楽団の定期演奏会で、ドビュッシーの「カンタータ『選ばれた乙女』」のソプラノ独唱に抜てきされた。この模様は今もフランス盤のCDの中に残り、懸命で品格のある歌唱、美しいフランス語の口跡で魅了する。

 古沢は引き続きアンゲルブレシュトの下で「ペレアスとメリザンド」を学び、念願の日本初演の指揮も頼むつもりだった。巨匠は高齢を理由に断り、当時40代だったジャン・フルネ(1913―2008年)に後事を託した。

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