彩り鮮やか 真夏の宝石「アイスケーキ」

●ちなみに――夏の氷、かつては権力の象徴

今もパティシエたちは新しいアイスを作り出そうと日々奮闘している(「フロマージュ マルブレ」)

暑いときに冷たい物を求める気持ちは、古今東西変わらない。氷菓の起源は諸説あるが、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王が山から氷を運び、戦場で兵士たちに振る舞ったともいわれている。

ローマ帝国の皇帝ネロは、アルプスから万年氷を運ばせ、バラやスミレ、蜂蜜などを混ぜた「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたという。日本でも、氷を保存する氷室は日本書紀にも記述されている。江戸時代には、加賀藩が氷室に保存した氷を夏場に将軍家に献上すべく、毎年飛脚を使って約500キロの道のりを運んだ。かつて氷は、莫大な労力と資金を費やして手に入るもので、権力の象徴だった。

16世紀に冷却技術が開発されると、天然氷がなくてもシャーベットが作れるようになり、18世紀にはフランスで現在のアイスクリームの原型が生まれた。日本で最初にアイスクリームを食べたのは日米修好通商条約批准のため、渡米した徳川幕府の一行だとされている。明治2年には横浜で初の国産アイス「あいすくりん」が売り出されている。

時代と国をまたがって、様々なバリエーションを生んできたアイスクリーム。今もパティシエたちが新たなアイスを作り出そうと奮闘している。近い将来、びっくりするようなアイスが食べられるかもしれない。

●記者のひとこと――ついつい食べ過ぎてしまう癖が…

アイス好きはついつい食べ過ぎてしまうかも…(「トロピカルマンゴー」)

どんな季節でも毎日1個は必ずアイスを食べる記者だが、夏場はつい食べ過ぎて困る。棒アイスを10本入りほどの箱で買った時などは、1本じゃ満足できず、つい2本、3本と手が伸びてしまう。他のスイーツに比べてカロリーも控えめなため、ブレーキも利きにくい。

食べ過ぎてしまう癖は昔からで、少年時代には学校から帰ってくると、まず冷凍庫を開けてアイスを探していた。母からの「弟の分も残しておくのよ」という声を聞き流し、全部食べて怒られたものだ。今思い返せばひどい兄だったと反省している。今度弟に会ったらアイスをおごろうと思う。

(田中裕介)

感想や取り上げてほしいスイーツなど読者の皆様のコメントを募集しています。
コメントはこちらの投稿フォームから

●「日経スイーツ選定委員会」とは

専門委員と日経記者で構成。専門委員は豊富な経験に基づいた通らしい視点で、記者はビジネスパーソンとしての素直な視点で評価。まず、専門委員の意見を参考に書類に基づく第1次審査を実施し、10商品を候補に選定。次に、厳選された10商品を実際に全員で食べ比べ、専門委員の意見を中心に合議制で「3つ星」「2つ星」「1つ星」を決める。

●専門委員の横顔(五十音順)

下井美奈子さん

1973年生まれ。実家の母が菓子教室講師ということから、子どもの頃からスイーツの食べ歩きや菓子作りを行う。一般企業を退職した後、パリの料理学校「リッツ・エスコフィエ」で料理・製菓の資格取得。またパリの製菓料理学校「ル・コルドン・ブルー」「ルノートル」で学び、2年間のロサンゼルス在住中にも各国の製菓・料理を習得。情報サイト「オールアバウト」では立ち上げの2001年から、スイーツガイドを担当。多数のメディアで洋菓子情報を紹介するほか、商品開発、レシピ提供を行うスイーツコーディネーターも務める。共著に「TOKYO美食パラダイス」など。

下園昌江さん

1974年生まれ。大学卒業後、専門学校やパティスリーで製菓の技術や理論を学んでおり、製法にも詳しい。お菓子の食べ歩き歴は15年。近年は特にフランス菓子に力を入れ、フランスを巡るツアーや焼き菓子を中心としたお菓子教室も開催。監修本に「とびきりスイーツ見つけた!」。ウェブサイト「Sweet Cafe(スイートカフェ)」主宰。

平岩理緒さん

1975年生まれ。小学生のとき、訪れたデパートでスイーツの魅力に目覚める。大学卒業後、食品会社のマーケティングに携わる。2002年、テレビ東京の番組「TVチャンピオン」デパ地下選手権での優勝を機に、食の情報発信を本格化。退社後はフリーのフードコーディネーターとして活躍中。月に食べるお菓子は100種類以上。和菓子店での勤務経験もあり、和、洋菓子全般に詳しい。著書に「アフター6のスイーツマニア」(マーブルトロン)。コミュニティーサイト「幸せのケーキ共和国」主宰。