アニマル柄、実は東京圏のほうが多い?
派手な大阪ファッションの代名詞といえばアニマル柄。ところが博報堂生活総合研究所の調査によると、意外にもアニマル柄の着用率は東京圏のほうが高かった。ヒョウ柄に身を包んだ「大阪のおばちゃん」のイメージは、お笑い芸能人らがネタとして強調したことなどが影響した。
定説は誤りなのか。「関西は独特で、東京と全然違う」。大阪文化服装学院2年生の定塚仰太さんが助け舟を出してくれた。
同学院の学生が東京と大阪の典型的なファッションを考え、モデル役の平野由唯さんにコーディネートしたのが右の写真。「東京」は淡色を使いシンプルだが「大阪」は明るい色を使い重ね着を取り入れ、見た目は派手。同学院2年生の石田優美子さんは「わざとボタンを掛け違えるなど普通には着ない。大阪の街と同じで元気でにぎやかなところを表現した」と語る。
江戸時代、大阪は最先端ファッションの発信地に
次に、そんな派手好みのルーツを探った。大阪歴史博物館(大阪市)を訪ねると、服飾分野が専門の中野朋子学芸員が江戸時代後期の着物の写真を見せ、「大阪の人は当時から派手でした」と解説してくれた。桜の絵や牛の絵が描かれた着物や、真っ赤な婚礼用の着物が目に飛び込んでくる。
江戸時代の人が派手さを追求した理由は女性の化粧にある。当時の化粧は「肌の色が隠れるくらい、べったり真っ白に塗るのが普通」(中野さん)。それに負けないインパクトが服装に求められ、派手さが増したという。特に商都・大阪の豊富な経済力と京都の高い服飾技術が組み合わさり、最先端ファッションの発信地になる。
東阪でファッションに違いが出始めたのは1800年代の半ばらしい。江戸時代の三大改革の1つ「天保の改革」が断行され、美装や高額品の着用が禁じられたのがきっかけだ。将軍のお膝元である江戸では女性の見た目が質素になったが、大阪は江戸ほど禁令が厳格に広がらず、濃い化粧と派手な着飾りが残った。当時の大阪の人は「江戸の女はおしろいが薄すぎる」と話していたらしい。