NY目指した中野ブロードウェイ なぜオタクの聖地に編集委員 小林明

ここで、中野ブロードウェイの歴史を簡単に振り返ってみよう(表4)。

東京五輪の開発ブームに乗って誕生

現在では中野ブロードウェイの中を通り、早稲田通りまで抜けることができるが、開業する以前の同敷地は一般住宅が広がり、通り抜けできない「行き止まり」の状態だった(ちなみに、明治の軍人、乃木希典・陸軍大将の屋敷もあったそうだ)。

写真6 中野ブロードウェイ全景(手前が北側入り口、上方に見える三角の建物が中野サンプラザ、1984年撮影)

「ニューヨークのブロードウェーのように力強い客の流れを作り、活気ある文化の発信拠点にしたい」。米国で見た高級アパートや商業施設に刺激を受けた宮田慶三郎さん(東京コープ社長)が、やがて東京五輪をきっかけにした開発ブームに乗り、住居と商店街を複合した軍艦のような形の中野ブロードウェイを開業する(表5、写真6)。

宮田さんは原宿に高級マンション「コープオリンピア」や中華料理店「南国酒家」を開業したことでも知られる。

「当時、地下鉄の東西線も整備され、大手町などビジネス街への移動が便利な立地として注目された。そのため、中野ブロードウェイは高所得者層を狙い、鳴り物入りでオープンした」。青木さんはこう振り返る。


1980年の「まんだらけ」出店が転機に

当初は銀座山形屋などの高級紳士服店や高級レストランも入居し、「東洋一のショッピングセンター」などと評判になった。マンションには沢田研二さんのほか、作家で後に東京都知事になる青島幸男さんら有名人が住んだことでも知られる。高級で時代の先端を行く「ステータスシンボル」だったのだ。

写真7 「まんだらけ本店」(3階)

ところが、(1)そもそも庶民の街である中野にはセレブがそれ以上、住みつかなかった(2)「ルミネ」など駅ビル型のショッピングセンター(SC)が近隣の新宿や荻窪、吉祥寺で次々と開業した――ことなどの影響から、中野ブロードウェイの集客力は衰え、有名店が相次いで撤退。高級イメージが色あせてしまった。

漫画古書販売の「まんだらけ」が入居したのはそんな時期だった(1980年)。

1号店は2.5坪(約8平方メートル)ほどの小さな店だったが、やがてサブカルブームに火が付き、店舗を拡大(写真7)。似たようなタイプの店も次々と集まるようになった。こうした店の集積がさらに客足を呼び、それが店の一層の集積につながるという連鎖反応を起こし、「サブカルの発信拠点」としての色彩を強めたというわけ。

中野ブロードウェイが大変身した陰にはこんな事情があったのだ。

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