お気楽フランス菓子修業に喝パティシエ鎧塚俊彦

先日スタッフの一人が「渡仏したい」と、相談を持ちかけてきた。すべてのスタッフと長く、一緒に働きたい気持ちは一杯ながら、私たちの業界では「独立と渡欧は引き留めてはいけない」という暗黙の了解がある。しかし私は、次の一言にカチンときた。

「働きたくて仕方ない」なら行け!

「チャンスなんです。今だと、応募すればワーキングホリデーの制度が適用され、誰でもフランスで働くことができるんです」

私は思わず、ほえた。「馬鹿野郎! 誰もが簡単に渡仏できるのはチャンスと思うかもしれないが、実はピンチなんだぞ」

2000年、パリ国際菓子見本市のショコラ(チョコレート)コンクールで優勝

ワーキングホリデーというのは私がちょうどフランスにいた2000年、日本とフランスの間で協定が結ばれた。渡仏パティシエの間ではビッグニュースになった。簡単に言うと1年間の限定ではあるが、フランスで働くビザを取得できる。ただ当時、その門はとても狭く、厳しい審査があった。審査項目の一つである渡仏動機の作文をすべて、完璧なフランス語で書けば「熱意が伝わり合格する」という、いわば都市伝説まで巷には流れた。

そのワーキングホリデーの枠が今では大幅に拡張され、申請すればほぼ全員合格するというのだ。とにかくフランスの空気を吸ってみたいだけの人間にはチャンスかもしれないが、菓子職人としての人生を真剣に考え渡仏を目指す人間には、ピンチ以外の何物でもない。私たちの諸先輩方の時代は渡仏すること自体、命がけであり大ピンチであった。だからこそ、その奥には大きなチャンスも潜んでいた。

学歴でいえば「あの大学は今、誰でも入れるんです。チャンスなんです」。 果たしてチャンスなのか? これと同じである。

「パティシエとしてやっていくには、フランスへ修業に行った方が良いのですか?」

製菓学校の講習会に招かれた時に、よく出る質問である。私は必ず、こう答える。

「行かない方がいいですよ」

どよめく若人に向かって続ける。

「行った方がよいかどうか、なんて迷っているのなら行かない方がよい。今や日本の製菓技術の水準は世界のトップクラスである。日本だけで修業していても、努力すれば立派なパティシエになれる。わざわざリスクを負ってまで、行く必要などない。しかし『どうしてもヨーロッパで働きたくて仕方ない』のであれば、絶対に行くべきだ」

欧州に行って、目からウロコが落ちるほどに見た事もないスイーツや技術、道具がゴロゴロ転がっていた時代はもう30年ほど前に終わった。では、今は学ぶべき事がないのかと言えばとんでもない。山ほどある。だがそれは昔と違い、あたりに転がっているのではなく自分で探さなければならない。いや、探すというよりも自分だけの魔法の原石を見極める目と心を養わない限り、原石もただの石ころと同じように通り過ぎてしまう。

フランスに行くことを目標にしている人間は、フランスに「住んでいる」だけで満足してしまう。海外で修業する上で大切なのは「生活する」事だと思う。その街で稼いだお金で飯を食い、暮らし、遊ぶ事である。お金を吐き出すだけであれば、どんなに長くいても観光であり、その街にとってのお客様である。大切な事など、見えてはこない。

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