中国にも“迷信”があった

中国生まれの漢語である「全然」は、「荘子」にも見られる古くからある言葉で、必ずしも否定と呼応するわけではありませんでした。時代が下り「水滸伝」「三国志演義」などの白話小説類で否定との呼応が多くなったのが影響したのか、「中国にも『全然』は否定と共起しなくてはならないという“迷信”が一部にあるようです」(橋本行洋・花園大教授)。「応用漢語詞典」(商務印書館、2000年)の「全然」の項には「只能用于否定…不能用肯定」と肯定での用法を誤りとする注意書きがあり、中国にも日本に似た現象が起きていることが分かります。

日本では戦後になって突如「本来否定を伴うべき副詞である」という意識が生まれた「全然」。“迷信”の直接の発生原因はまだはっきりしませんが、その定着には辞書や国語・英語教育などが少なからず影響しているようです。一方で「国語学における副詞研究の遅れも影響しているのではないか」(飛田氏)との見方もあります。

今後は、昭和20年以後の用例や文法研究を調査したり、戦前や戦後の英和・和英辞典や小学生向け学習国語辞典などの語義を広く調べたりすれば、なぜこのような意識が生まれたのかがわかる記述が新たに見つかるかもしれません。“迷信”解明へ向けた研究は続きます。

(佐々木智巳)

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副詞研究の進め方に問題も 飛田良文・日本近代語研究会会長に聞く

飛田良文・日本近代語研究会会長

「ローマ字で引く国語新辞典」が、「全然」は「普通、下に打消を伴う」とした決まりの契機となっているのは英語です。福原麟太郎が「全然」を英語「not at all」と「wholly」とに対訳したわけですが、実はそこに問題があります。

私が国立国語研究所に入って間もない昭和40年代、副詞研究の遅れが懸念されていました。当時、副詞研究は呼応に重きがおかれ、副詞論はもっぱら否定や打ち消しとの呼応の有無が中心となり、辞書が否定や打ち消しとの呼応を記述するようになったと考えています。そのとき、用例の実態調査が進んでいなかったために、肯定との呼応をないものとするか、誤用・俗用とするなど、理屈上の分類が必要となったと思われます。それで「全然いい」などの肯定表現は誤用だという意識が生まれたわけです。

「全然」に動詞が続くと「全然できる/できない」、形容詞が続くと「全然おもしろい/おもしろくない」、形容動詞が続くと「全然別だ/別でない」、名詞が続くと「全然右/全然左」などのように対応します。用例の徹底的な調査以外に、正確な語義記述はできません。

学校教育、特に辞典が日本語に対する規範意識に影響を与えるのは当然です。例えば、小学生用の国語辞典に「下に必ず打ち消しを伴う」とあれば自然にそのような意識が根付くでしょう。今後、小学生用の国語辞典の記述を戦前から戦後までくまなく調べたり、英和辞典や和英辞典を調べたりするなどの研究を進めれば、決定的な事実、意外な事実が見えてくるかもしれません。(談)

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