15日目(3月24日)

午前10時。気仙沼の市街を抜けてほんの少し車を走らせたら、既視感がある光景に出合った。そう巨大な漁船が道路脇に打ち上げられたままになっている。

陸前高田市に入ると廃虚が広がっていた。市役所、消防署、JA、NTTと主要な建物が集まる町の中心部は根こそぎやられている。海のそばにはがれきが整然と積み上げられ、新たに防潮堤が造られたような錯覚に襲われる。

そのそばにバスや乗用車が止まり、子どもを交えた多くの人々があの「奇跡の一本松」に向かう。人々は松の木を見上げ、カメラを向けている。

私たちが訪れたとき、東京の八王子と滋賀県からバスが来ていた。フロントガラスに掲げられたプレートにはどちらも学校関係の名前があった。それで子どもが多いのか。

テレビの映像と実際の風景はかなり違っている。歩いていれば地盤沈下の様子が靴の底から伝わってくる。被災地の現実を子どもに体験させ、風化を食い止めようという教育的な視点からバスツアーでやってくる人々がいる。

一本松を訪れる人は多い(陸前高田市)

しかし陸前高田の場合は中心市街地が壊滅している。休むところも食事をするところもない。陸前高田の一本松は「名所」になりつつある。なのにそれを地域経済の活性化に結びつける手段がない。惜しい気がしてならない。

高台の方に移動すると仮設商店街があり、その一角で朝市をやっていた。鮮魚店で地物のカレイやカニを売っている。女性がカニを買った。店の男性が「そうこなくちゃ」と笑顔でカニを包んだ。

海岸線に沿った山の中の道を走る。トンネルをくぐると「釜石市」の標識が立っていた。唐丹(とうに)漁港に降りてみた。頑丈そうな堤防は一部が破壊されていた。そこから鮭が遡上する川に大量の海水が入っていった。地震で沈下してしまった波止場の先を波が洗っている。

釜石市も甚大な被害を被っていた。震災直後、私はテレビで津波が釜石市のアーケード商店街を突き抜けていく情景を見て、声をあげそうになった。あのアーケード街には釜石ラーメンの元祖「新華園本店」がある。以前取材した西条さん一家は無事なのか。

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