どんなときも地域とともに被災地を行く500キロの旅 総集編(4)

3月10日に茨城県大洗町から始めた被災地の旅は26日、青森県八戸市に達して終わった。旅の途中、茨城県から福島県に足を踏み入れた途端、食の情景に沈み込むような重さが加わった。原因は東京電力福島第1原発事故。目に見えない放射性物質への不安と恐怖が食卓に覆いかぶさっている。全5回。

13日目(3月22日)

仙台空港近くでがれきの処理が急ピッチで進む

午前9時、仙台のホテルに石巻の木村均さんが車で迎えにきてくれた。木村さんは石巻のタウン・マネジメント会社「街づくりまんぼう」の社員であるとともに「石巻茶色い焼きそばアカデミー」のメンバーでもある。

まずは仙台空港に向かった。震災直後の空港の映像はくり返し流れたからご存じの方も多いであろう。だが私たちが見たかったのは空港ビルではなく、その海側の状況であった。空港を迂回して東に行くと、これまでの被災地で見慣れてしまった広大な更地にぶつかった。

流されて倒れてしまった墓石が積み上げられている。その向こうにかつて多くの家が建っていたであろう更地。

そこから西に移動すると、これもまた報道ですっかり知られた閖上(ゆりあげ)地区に出る。コンクリートの基礎が規則正しく並んでいるところは住宅街だったに違いない。基礎の一角に赤い旗が立ち、その下にウルトラマンの人形があった。

黄色いハンカチが風になびく(荒浜地区で)

荒浜地区に行く。黄色いハンカチを連ねたロープがいくつも張ってある。いまは「黄色い」の前に「幸せの」という言葉はふさわしくない。

住み慣れたこの土地に戻っておいで。戻りたい。戻れない。答えはこのどれか。

車は七ケ浜町へと走る。途中、崖の上に立つ民家が見えた。津波はそこまで到達しなかったらしく家は無傷。その下の鉄筋コンクリート造りのマンションは3階までやられていて、高台と平地の差を如実に物語る。

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