江戸の役人、定年は70歳 歴史にみる「シニア」の定義

2012/3/27

政府は65歳以上を一律に「高齢者」と位置づける現行の定義の見直しに着手する。年金など現役世代の負担の増大を抑えるのが狙いだが、歴史的に見て、「高齢者」「シニア」とは何歳以上の人を示すのだろうか。

平安時代、官僚の定年は70歳

平安時代、官僚の定年は70歳だったが有力貴族であれば延長も可能だった(岩手県・毛越寺の「曲水の宴」)

日本の医療社会史を研究する北里大学副学長の新村拓教授は「古代の律令に既に『老い』の定義が示されている」という。5段階に年齢を区分する唐の制度をそのままに61歳から65歳までを「老」、さらに日本独自に66歳以上を「耆(き)」と定めた。天平宝字2年(758年)にはそれぞれ60、65歳に引き下げたという。

「老」に対しては成年男子が負担する税の「庸・調」の半減、兵役免除などの措置がとられた。さらに80~89歳、90~99歳、100歳以上のそれぞれの区分で看護や介護のサービス給付も認められたという。

古代の官僚で定年退職に当たる「致仕」は70歳だったが有力貴族であれば延長も可能だった。中世でも鎌倉時代は具体的な引退年齢の規定はなかったが御家人は70歳が一つの目安だったようだ。一方農村では寄り合いや一揆に参加するのは60歳以下15歳までの男子だったという。

天保期の江戸城、50人が70歳以上の役人

江戸時代の幕臣の場合、病気引退は40歳以上でなければ請願できず、老衰隠居は70歳以上で初めて認められた。柳谷慶子・東北学院大教授は「各藩でも70歳以上を隠居の年齢とするケースが多かった」としている。

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