なぜ生まれた? 岡本太郎の「太陽の塔」と杉本博司の「海景」現代アート、素朴な疑問(3)

2012/3/30

現代アートをめぐる素朴な疑問をテーマにした連載の第3回目は、岡本太郎の「太陽の塔」と杉本博司の「海景」を取り上げる。共通するキーワードは「原初」。それぞれの誕生の秘密を探る。(文化部 小川敦生)

大阪万博のシンボル、岡本太郎の「太陽の塔」はなぜ生まれたのか。

40年を超える時を経て今も大阪府吹田市の万博記念公園にそびえる岡本太郎(1911~96年)の「太陽の塔」。天に向かって全身で語りかけるかのごとく立つその姿は、岡本自身による「芸術は爆発だ」という印象的な言葉とも符合するように感じられる。50代以上の世代の中には、1970年の大阪万国博覧会を実際に訪れ、高度成長期の日本の勢いを象徴したように受け止めけた人も多いのではないだろうか。

科学の進歩に疑念、万博のテーマと正反対の主張

しかし、このシンボリックな塔が実は当時の万博で訴えかけようとしていたことと正反対の主張をしていたと知る時に、岡本の本当のすごみに接することになる。

「太陽の塔」の全容

岡本太郎記念館(東京・青山)の平野暁臣館長によると、「大阪万博のシンボルタワーとしては、エキスポタワーと呼ばれる塔が別にあり、会期終了後も本来はそちらが残る予定だった」という。一方、万博のテーマ館としてシンボルゾーンの大屋根を突き抜けるように誕生させた「太陽の塔」に岡本は、「権力や既成概念への反逆の意を込めた」(平野氏)。国が主導し、「人類の進歩と調和」というテーマを据えた世紀の大イベントに、「原初」的な造形美で真っ向から盾を突いたのである。そのことに、当時どれだけの日本人が気づいていたのだろうか。

「太陽の塔」には、本来の頭の位置、胴体の真ん中、そして背中の3つの場所に顔がある。それぞれは「未来」「現在」「過去」を象徴するという。特に背中にある黒い顔は不気味だ。恐らく岡本は、この顔にこそ最大の主張を込め、科学技術の進歩にひたすら希望を感じていた多くの日本人に警鐘を鳴らしたのではないだろうか。人々は「太陽の塔」にえたいのしれないインパクトを感じ、その勢いは政府関係者をも巻き込んで万博の「遺産」として残す道につながった。科学技術の発達が人類にとって喜ばしいことばかりではなく、負の側面を持つことは、環境汚染や原子力発電所事故の収拾の苦労を見ても明らかだろう。今改めて「太陽の塔」と向き合うべき時が来ているのかもしれない。

「特集展示 太陽の塔 黄金の顔」(東京・両国、江戸東京博物館、5月20日まで)

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