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東京ふしぎ探検隊

世界初の駅伝は「京都-上野」 100年前、3日で500キロ

2012/3/9

弁天堂に通じる道の手前に駅伝の記念碑がある。このあたりが博覧会会場だったという(東京・上野恩賜公園)

日本で生まれたスポーツといえば、相撲や柔道、剣道などが思い浮かぶ。駅伝もそのひとつ。世界最初の駅伝は約100年前、京都から上野までを走る壮大なレースだった。東京に残る発祥の碑を巡りながら、駅伝や軟式野球、ラジオ体操など、日本生まれのスポーツの知られざる誕生物語をひもとく。

■東海道駅伝、500キロ超を41時間44分で走破

東京・上野の恩賜公園。桜の名所として有名な公園を歩いていると、不忍池のほとりで変わった形の石碑を見つけた。見ると「駅伝の歴史ここに始まる」と書いてある。どういうことか。日本陸上競技連盟に聞いてみた。

「日本最初の駅伝『東海道駅伝徒歩競走』のゴールが不忍池前だったのです」。出発点となった京都・三条大橋にも同じ石碑を建てたという。京都から上野まで実に514キロ。昼夜を通して走り、3日間かかったというから驚きだ。

陸連に紹介してもらった岡尾恵市著『陸上競技のルーツをさぐる』に当時の様子が詳しく描かれている。時は1917年(大正6年)4月27日。博覧会にあわせたイベントとして開催したレースには、東京チーム(関東組)と名古屋・京都チーム(関西組)が参加した。当初は大阪も加わる予定だったが、チーム編成ができなかったらしい。

23区間を競ったレースは関東組が関西組に1時間24分の差をつけ、41時間44分で制した。最長区間は22区(藤沢-川崎)の33キロだったが、途中アキレスけんを切った選手がいて、次の走者だった選手が急きょ40キロ超を走るというアクシデントもあった。

また、天竜川や木曽川では橋がなく、渡し船で渡ったと同書は記す。公平を期すため、渡った時間をあらかじめ長めに決めておき、早かった場合は待機させるなど配慮したという。

関東組の最終ランナーは当時27歳だった金栗四三(かなぐり・しそう)。1912年(明治45年)、ストックホルム五輪のマラソン種目に日本人として初めて参加したランナーで、日本のマラソンの父とも称される人物だ。

不忍池を一周してゴールした金栗は大歓声に迎えられた。この熱狂が、のちに箱根駅伝へとつながっていく。ちなみに名古屋・京都チームのアンカーは52歳の国会議員だった。

それにしてもなぜ東海道を走ったのか。それはこの駅伝のきっかけとなった博覧会に起因する。博覧会の名は「東京奠都(てんと)五十周年奉祝大博覧会」。

小雨にもかかわらず、不忍池の周りを走る人の姿が目についた(東京・上野恩賜公園)

奠都とは新たに都を定めることで、1868年(明治元年)、明治天皇が京都を出発して江戸城に入ったことを指す。このルートを再現するとの発想で生まれたのが東海道駅伝だった。

ちなみに駅伝という名称は、主要な道に駅を置き、馬や宿を提供した古代の「駅馬伝馬」からきている。レースを企画した読売新聞の土岐善麿氏が、神宮皇学館(現・皇学館大学)の武田千代三郎館長の意見を取り入れて命名した、という。

ところで日本生まれの駅伝は、世界にはなかなか広がらない。長距離は一人で走るもの、という考え方が海外では強いのだろうか……。

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