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東京ふしぎ探検隊

慶応もサンタも築地出身 魚の町は「発祥」の宝庫

2012/2/24

日本の食文化を体験できる場所として外国人にも人気の東京・築地。魚市場で有名なこの町は、実は古くから外国と密接な関係があり、横浜や神戸と並ぶ文明開化の町だった。指紋の識別、運動会やクリスマス、慶応義塾や女子学院……。現代につながる多くの習慣や研究、学校がこの地で生まれている。明治時代、近代化の最前線となった築地を歩き、「発祥の地」を巡った。

■指紋で個人識別、築地の外国人医師が実証

地下鉄築地駅から隅田川に向かって進んでいくと、ひときわ高いツインタワーが見えてくる。聖路加タワーと聖路加レジデンスだ。47階建てと38階建てのタワーを見上げながら歩いていたら、植え込みの中に石碑を見つけた。文字がはげていて読みにくいが、「指紋研究発祥の地」と書いてある。犯罪捜査や個人認証に使う指紋のことだろうか。碑文を読んでみた。

「彼はわが国で行なわれていた指印の習慣に興味をもち、たまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見し、これにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行なった」

「彼」とはヘンリー・フォールズ。英スコットランドからやってきた医師だ。1880年(明治13年)、彼が英科学雑誌「ネイチャー」に掲載した論文は、科学的指紋法に関する世界最初の論文となった。書いた場所は築地。日本のこの地で、日本の習慣に興味を持った人物が、現在につながる指紋識別法を提唱していたのだ。

植え込みの中にひっそり置かれた「指紋研究発祥の地」の石碑。道行く人もほとんど気がつかない

米国の動物学者、エドワード・モースが大森貝塚から古代の土器を発掘したのが1877年(明治10年)。フォールズが来日したのはその3年前の1874年(明治7年)だった。土器の指紋に着目したフォールズは自身の診療所「ツキジホスピタル」を訪れる人々の指紋を集め、識別方法を研究して論文にまとめた。

清水正雄著「東京はじめて物語」によると、フォールズは指紋の有効性を身をもって証明したらしい。ある日フォールズの自宅に泥棒が入り、塗りたての壁に残っていた指紋から犯人を割り出したというのだ。今や世界中で当たり前となった指紋による個人識別の源流が日本にあったとは感慨深い。

ちなみに、聖路加の正式な読み方は「せいるか」。一般には「せいろか」の方が通りがいいが、キリストの使徒で医者でもあった聖ルカにちなんだ。聖路加国際病院の横にある道は「聖ルカ通り」。関連の研究施設には聖ルカ・ライフサイエンス研究所という名前もある。

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