フェルメール、正確すぎる遠近法の秘密分子生物学者 福岡伸一

フェルメール全作品の複製を集めた「フェルメール・センター銀座」にて

昆虫少年、顕微鏡、レーウェンフック、17世紀、オランダ、フェルメール……

好きなことをただ好きでありつづける。言葉のほんとうの意味としてのアマチュア的精神。ただ興味の赴くままに、読み、調べ、出かけ、また調べているうちに、すっかり私はフェルメールにとりつかれてしまった。

37作品、完全踏破の旅へ

行き着く先は、オタクの常として、コンプリート(完全)への希求である。現存するフェルメール作品は37点。これをすべて所蔵美術館に出かけて、現地でみる。これが私の夢となった。オランダ、ドイツ、フランス、イギリス、米国。フェルメールの絵は世界中の有名美術館にきら星のごとく散らばっている。遠くアイルランドとオーストリアにもある。

私は、夏休みや春休みなど、ちょっとまとまった休暇がとれるときに出かけてはフェルメールを巡礼することになった。たとえばドイツには、ベルリン国立絵画館に2点、ドレスデンのアルテマイスター絵画館に2点、フェルメール作品がある。そしてブラウンシュバイクという小さな都市のアントン・ウルリッヒ美術館にも。この街は、ベルリンから電車で約2時間。もしフェルメールのことがなかったら、この場所を訪れることはなかったし、街の名前を知ることもなかっただろう。

フェルメールが作り出した室内の遠近法はおどろくほどリアルに見える。しかしリアルに見えながら、リアルでないところがある。たとえばベルリンにある「紳士とワインを飲む女」。赤いドレスを着た女性にワインをすすめる男性。グラスに隠された彼女の表情はわからない。左側の窓から入る明るい光がふたりを照らし出す。焦点はみごとにぴたりとそこにあっている。にもかかわらず、床のタイルは右の端にいたるにつれ、徐々にゆがんで見える。

この絵と同時期に描かれたと思われるアントン・ウルリッヒ美術館の「二人の紳士と女」では、ほとんど同じ構図にもかかわらず、横長の絵から縦長の絵に変化を遂げている。フェルメールはきっと、タイルのゆがみを描きたくなかったのだ。

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