オタク少年、「ミクロの世界」に出会う分子生物学者 福岡伸一

2012/2/7

ダイレクトメッセージ

生物学者になる前の私は、虫が大好きな昆虫少年だった。黒地に青と緑の輝点を散らしたカラスアゲハや、優美な曲線を描く長い触角をもつルリボシカミキリを野山に追っていた。

やがて私は、葉の裏に産みつけられた蝶(ちょう)の卵や、翅(はね)の鱗粉(りんぷん)、甲虫の表面などを顕微鏡で観察することの鋭い驚きを知った。

小学生になって私が買ってもらったのは、おもちゃに等しい子供用の顕微鏡だった。それでも100倍程度の倍率があり、覗(のぞ)くとまったくの別世界が広がっていた。

焦点の当たっている場所は、微小な粒や棘(とげ)がくっきりと見える。しかしあまり精度の高くないレンズの作用で、その輪郭にはうっすらと青や黄色の不思議な色がつく。焦点からはずれた場所は、ゆがんだ光の滲(し)みとしてぼんやりとしか見えない。しかし、むしろそのようなレンズの視覚効果が、より深淵な何かを映し出しているような気がした。

顕微鏡の父、レーウェンフック

私はオタク少年だった。オタク少年の常として、何かを見るとその源流をたどらずにはいられなくなる。顕微鏡を最初に作り出したのは一体どんな人物だったのだろうか。

こうして私は、アントニ・フォン・レーウェンフックに出会った。

私が初めてレーウェンフックの人となりを知ったのは、図書館で見つけたポール・ド・クライフ著『微生物の狩人』という読み物からだった。たぶん中学生になったころのことだろう。

翻訳文が読みにくいながら、肉眼で見えない病原体を追究した人々の列伝は十二分に私を興奮させた。その中の一章に、レーウェンフックが割かれていた。

注目記事
次のページ
アマチュアとは「何かをずっと好きであり続ける人」