2011/12/21

歴史博士

時が記憶を風化、恋歌の枕詞へ

同教授は古今和歌集から新古今和歌集までの勅撰集(ちょくせんしゅう)の中で「末の松山」が詠まれた約20首も分析。A「越さじ」と変わらぬ愛をたとえる B「越えなむ」として破局を暗示する C情景を夢幻的に美化する――の用法があるとしている。都人にとって東北地方は金や馬の産地であり一種の憧憬の土地だった。

実際に現地を訪れた歌人は10世紀末の源重之ひとりだという。短歌の世界には津波のイメージはもはやない。見たことのないはるか遠方ということで、幻想的なイメージがかき立てられたのだろう。

吉海直人・同志社女子大教授は「平安時代の和歌は観念・見立てや心象風景の世界を詠じるのが一般的。マイナスイメージはそのまま歌には使われない」とする。

貞観地震から古今和歌集の成立まで約40年。石井教授も1世代を超えた歳月の経過が記憶の風化とともに恋愛の歌枕に変化していったと推測している。だが同教授は「古代には歌の言葉に天地を動かす力があると信じられていた」と指摘する。次に起こる災害予防の思いを込めて『浪こさじ』と歌ったのではないか」(石井教授)。現代の我々から見ると不思議に思える自然現象を詠み込んだ百人一首の歌は少なくない。各地の名勝を詠み込んだ歌枕には、最初に詠んだ名もなき歌人の知られざる祈りが込められているのかもしれない。

(電子整理部 松本治人)