演劇回顧2011言葉の力を生き返らせた「祈り」

演劇にとって東日本大震災はどんな意味をもつだろうか。

Bunkamura「たいこどんどん」で鈴木京香(右)の東北弁に鎮魂の思いが宿った。左は中村橋之助(写真 谷古宇 正彦)

3月11日、野田秀樹は東京芸術劇場で新作「南へ」(演出も)の公演中だった。他劇場で公演中止が相次いだが、4日の休みをへて再開した野田は「劇場の灯を消すな」とブログなどで訴えた。くしくも「南へ」は大噴火が起きるかどうかをめぐるオオカミ少年の話で、震災後の上演では現実が二重写しになった。演劇でなぜ破局を描くのか。そうならないための「祈り」を表現するためだと野田は当時のインタビューに答えている。

震災は言葉の力を生き返らせる。「ありがとう」の一言が身にしみる響きに転じたように、舞台のセリフも胸に深く響く瞬間があった。演じ手、観客の間で起こったつかの間の、けれども奇跡的な共鳴作用だった。

新国立劇場「ゴドーを待ちながら」は祈りの舞台だった。橋爪功(左)と石倉三郎(写真 谷古宇 正彦)

井上ひさしの「たいこどんどん」は東北を転々とする太鼓もちの物語だが、演出の蜷川幸雄はラストシーンに北斎の大波を出し、登場人物を津波の死者の転生とした。この卓抜な読み替えの源にはやはり「祈り」があった。新国立劇場で上演されたベケットの「ゴドーを待ちながら」(森新太郎演出)も、祈りの舞台であった。橋爪功の「神さま、あわれんでください」のセリフの深さ。ついに現れない謎の存在(ゴドー)を待ち続けるこの有名な不条理劇は、上演される時と場所に応じて様相を変える。戦火に包まれたサラエボでのスーザン・ソンタグ演出が有名だが、東京の試みも歴史的上演だったと言える。