目黒の住宅街にコース跡があった

地図上で競馬場跡を確認すると、コースの形状と符合する道があった

新宿区にも競馬場があった。戸山競馬場。新宿区戸山、現在では早稲田大学理工学部があるあたりだ。

当時の跡はほとんど残っていないが、キャンパスに面した「コズミック通り」という道を歩くと、小さなプレートがあった。「かつてここで競馬が行われた」と書いてある。意識して歩かないと気がつかないほどさりげなかった。

一方、そこかしこに痕跡が残っていたのが目黒競馬場だ。交差点名は「元競馬場」で、「元競馬場前」という名前のバス停もある。案内板や馬の像もある。道行く人も多くが「昔競馬場があったんでしょ」と答えてくれるほど、地元では知られているようだ。

では、実際のコースはどのあたりにあったのか。現在の地図と古地図とを照らし合わせながら歩いて探してみた。

このカーブは「第1コーナーから第2コーナー」だった

現在の地図を見ると、なにやら怪しいカーブがある。場所は閑静な住宅街。ちょっとお邪魔して入っていくと、緩やかな曲がり道がどこまでも続いていく。

スマホ用アプリを使ったところ、ちょうどこのあたりがかつての目黒競馬場だったことがわかった

ここで強力な助っ人を導入した。全地球測位システム(GPS)の位置情報を古地図上で表示できるスマートフォンのアプリ、「今昔散歩」だ。確認してみると、やはり、かつての競馬場の上を歩いていた。この道の周辺を、数十年前まで馬が走っていたのだ。あとで馬の博物館(横浜市)に確認したところ、このあたりは当時の第1コーナーから第2コーナーにかけてだという。住宅街なのであまりじろじろと見続けるわけにはいかないが、意外な場所にも歴史は潜んでいた。

目黒競馬場は1933年に歴史を閉じ、東京競馬場へと移転した。その名はいまも「目黒記念」というレースの名称として刻まれている。このほか、三田(港区)や池上(大田区)、羽田や板橋などにも競馬場があったという。池上では「徳持ポニー公園」内に、競馬場のことを書いたモニュメントがある。

東京には馬にゆかりのある土地がまだまだある。高田馬場は江戸時代に馬場があった場所。練馬はその名の通り、馬を訓練する場所だった。永田町もかつては永田馬場と呼ばれていたらしい。日比谷公園には明治時代から残る馬の水飲み場があった。馬はそれだけ、身近にあったのだろう。

かつて多くの人が熱狂した競馬場は、今は閑静な住宅街になっていた
交差点名にも、ここに競馬場があったことが記されている
目黒競馬場跡地にあるバス停は「元競馬場前」
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最初の近代競馬は江戸時代
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