CUT
絶え間ない欲動としての映画、すべてを身ぶりで表現
2歳になった娘がはねまわる拙宅でDVDを見ていて気付いた。彼女が遊びをやめて、じっと画面を凝視することがある。「言葉」もほとんどわからなければ、「顔」の区別もつかないであろう彼女は何を見ているのか? それは例外なく「身ぶり」を見ているのである。
アクション映画ならなんでもいいわけではない。銀行強盗や宇宙戦争が好きというのではなくて、登場人物の身体の動きに純粋に反応しているのだ。おそらくそのせいだろう。加藤泰や相米慎二が大好きだ。静かに見えても、常に何かが動いている映画が。
アッバス・キアロスタミと並ぶイラン映画の巨匠、アミール・ナデリ監督の映画はほとんど「身ぶり」だけでできた映画である。
「駆ける少年」の身寄りのない少年はひたすら海辺を走り続ける。「水、風、砂」の少年は水を求めてひたすら砂漠を歩き続ける。「マラソン」のヒロインはニューヨークのあちこちでひたすらクロスワードパズルを解き続ける。「サウンド・バリア」の少年はひたすら母の声が録音されたテープを探し続ける。「ベガス」の家族は埋蔵金を求めてひたすら自宅の庭を掘り続ける……。
どの映画の主人公も憑(つ)かれたように、ひたすら何かをやり続ける。セリフはほとんどない。ひたすら「身ぶり」だけがある。なぜその行為に執着するのかは、あまり問題ではない。ただ、やむにやまれぬ衝動があることだけはわかる。
ナデリが日本で撮った新作「CUT」の滑り出し。拡声器とビラをもった西島秀俊がアジ演説をしながら、街頭を駆け出すシーンに目頭が熱くなった。雑踏の向こう側を走っていく西島をとらえたロングショットだ。「駆ける少年」が東京まで走ってきた! ぞくぞくするようなナデリ的瞬間だった。
西島が演じるのは若い映画作家、秀二。貧乏でなかなか自分の作品が撮れないでいるが、そんな時にも自主上映会を開いて、古今東西の名作を客と一緒に見ている。映画を心から愛する秀二にとって、近年の映画を巡る状況は許しがたい。シネコンで上映されるのは愚にもつかないエンタテインメント作品ばかりで、作家性の強い映画の門戸は狭まるばかりだ。
「かつて映画は真に芸術であり、同時に真に娯楽であった!」「金もうけ主義のクソ野郎どもの手から映画を取り戻し、本当に美しい映画の光で照らし直せば、映画は必ずよみがえってくれます!」「映画はわれわれと同様、自由にこの世界に存在しなければならない!」「映画は売春ではない!」
道行く人々に向かってそうがなりたてながら、上映会のビラをまき、警察から逃げていく秀二。その主張の是非は、ここでは問うまい。重要なのは彼を突き動かす欲動の激しさであり、その身ぶりの具体性である。
秀二の欲動はさらに強くなり、身ぶりはますます過激になる。映画作りを後押ししてくれた兄が死に、その借金を背負わされた秀二は、「殴られ屋」となる。やくざを相手に、パンチを一発受けるごとに、5000円なり10000円なりをもらうのだ。秀二は1発殴られるたびに、自分が愛する映画を1本ずつ思い浮かべて、耐えることにする。
溝口健二「雨月物語」、マックス・オフュルス「歴史は女で作られる」、ニコラス・レイ「大砂塵」、ジョン・カサヴェテス「アメリカの影」……。絶え間なく殴られる秀二の脳裏には、絶え間なく愛する映画が去来する。映画への深い思いが、殴られるという具体的な身ぶりで表現される。
あざだらけになって帰宅した秀二は、自分の身体に映画を映写し、傷をいやす。「映画を浴びるように見る」とは比喩だったはずだが、ナデリの世界では違う。文字通り「映画を浴びる」のである。繰り返す。ナデリの映画ではすべてが具体的な身ぶりなのだ。
毎日パンチを浴び続ける秀二。痛みをこらえ、立ち上がる秀二。その姿が感動を呼ぶ。どんなにボロボロになっても、映画を愛し、映画作りをあきらめない。愛するというのはそういうことだ。秀二の映画愛が、そんな身ぶりに結晶しているのだ。
殴られていないときも、秀二は常に動き続けている。部屋の中をぐるぐると歩き回る。墓場に向かって全力疾走する。床を踏みつけ、肩で息をする。ほとんどじっとしていることがない。彼を映画へと突き動かす欲動は、絶え間ないのである。
ナデリの映画の主人公たちの身ぶりは、みなこの絶え間ない欲動の形象といえる。それは映画という表現の根源的なあり方に根差す。形のない思いを、抽象的な言葉や文字にするのではなく、具体的な映像と音を使って表現するのが映画なのである。
絶え間ない欲動を、絶え間ない身ぶりとして表現する。それがナデリの映画だ。
(編集委員 古賀重樹)
120分。17日からシネマート新宿、シネマート心斎橋で公開。
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