コンテイジョン
群衆シーンなきパニック映画
「パニック映画」というジャンルがある。その呼称が定着したのは1970年代からのようだ。「大空港」あたりに始まって「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」「ジョーズ」などが大ヒットした。わが国にも「日本沈没」なんてのがあった。その後の「タイタニック」なども含めて大災害や大事故に材をとったものが多いが、近年は「アウトブレイク」「感染列島」など、感染症の大流行を取り上げたものが目立つ。公開中の「コンテイジョン」も、タイトルはずばり「感染」という意味で、新種のウイルスによる感染症の世界的大流行を描いたパニック映画だ。ところがこれまでのパニック映画とどこかが違う。
大方のパニック映画で見せ場となるのは、危機に陥って混乱状態となった人々が逃げ惑うシーンである。いわゆる群衆シーン。それがこの映画にはほとんどないのだ。
映画は様々な旅行者が行き交う米ミネアポリスの空港で、ベス(グウィネス・パルトロウ)が浮気相手と電話をしているという、ごくありふれたシーンから始まる。ウィルス発生2日目というテロップがでるが、その気配はほとんど見えない。時差ボケのせいかベスの気分がよくないというだけだ。傍らで、旅行者たちはスナック菓子をつまみ、クレジットカードを渡す。ビジネスマンが握手をかわし、混雑したバスでせき込む。これが何を意味するのか、だんだん分かってくる。
ベスの病状は急速に悪化する。せきに高熱、最後は激しいけいれんを起こし、2日目に亡くなる。突然の妻の死に慟哭(どうこく)する夫(マット・デイモン)に対し、医者は死因を説明できない。まもなく、同じ症状で脳が破壊されて死亡する患者が続々と現れる。
1人が4人に、4人が16人に、16人が数百人、さらに数千人、数万人に。日を追って急増する患者。シカゴ、ロンドン、東京、香港と死の病はあっという間に世界に広がる。テロップが示すウイルス発生からの日数が進むにつれて、事態は加速度的に深刻化し、人類は破滅へと向かっていく。
米国疾病対策管理予防センター(CDC)の研究員たちは副所長のチーバー(ローレンス・フィッシュバーン)の指揮のもと、感染症の抑え込みに奔走する。最初に感染が広がったシカゴに送り込まれる医師(ケイト・ウィンスレット)、初期感染者の行動をたどりウイルスの起源を突き止めようと香港に入った医師(マリオン・コティヤール)。パニックに対処する彼ら彼女らの献身的な行為が描かれる。
その一方で、「大衆は真実を知らされていない」と主張し、政府やマスコミなどの情報隠しを批判するブロガー(ジュード・ロウ)が時代のスターとなっていく。最初は正義感に根ざしていた行為も、自身の影響力を自覚するにつれ、過信が生じてくる。ブロガーが勧める薬草がウイルスに効くというのは本当か? 情報を通して、人々の恐怖はあおられ、パニックが引き起こされる。政府はデマゴーグとしてブロガーの存在をますます敵視する。
政府対ブロガーの「情報戦」。これがドラマの中核になっているのは、情報こそが現代の人々を動かすからである。火事や地震、墜落や沈没といった大惨事と違って、ウイルスは目に見えない。情報も目に見えない。現代の恐怖は目に見えないものなのである。だから、そこに逃げ惑う群衆シーンはそぐわない。事態は心の奥底、脳の内部で進んでいるのだ。
住民の退避が済んで、無人となった都市の光景が怖い。外形的には何のダメージも受けていない街に、人がいない。生活がない。人々は目に見えないウイルスに追われ、形のない情報に動かされる。そのことがとても怖い。
監督は「セックスと嘘とビデオテープ」(1989年)以来、知的でクールな作品を撮り続けてきたスティーブン・ソダーバーグ。きら星のようなスターが出演するこの作品でも、過度の情感を抑え、事態の推移を日記体の形式で順を追って、淡々と見せていく。ウイルスの起源という"謎解き"の部分は最後に「1日目」として現れる。
目に見えないものに動かされる現代人の恐怖。その発生源は極めて具体的な事物で示される。
(編集委員 古賀重樹)
1時間46分。新宿ピカデリーほかで公開中。
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