変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

ネット裏三田会の祝賀会であいさつする代表幹事の野島さん

ネット裏三田会の祝賀会であいさつする代表幹事の野島さん

人生80年時代、サラリーマンにとって定年退職後、いかに過ごすかは大きなテーマだ。現役時代に猛烈サラリーマンだった人ほど、仕事以外の人間関係が少なく、リタイア後、疎外感を味わうという。そんな時代に、仲間とのつながりを重視し、いきいきと第二の人生を謳歌する人たちがいる。春と秋の週末、神宮球場のネット裏に参集し、母校の野球部に大きな声援を送るシルバー軍団、その名も「神宮ネット裏三田会」だ。慶応義塾大学野球部をネット裏から応援し続け、このほど30周年を迎えた。メンバーの大半は60代から70代と若くないが、彼らの「若き血」は今なお熱い。

ビジネスの世界で慶応OBは結束が固いといわれる。今はリタイア組が大半を占めるネット裏三田会だが、会の発足当初、メンバーの多くは現役サラリーマンで、そのつながりがビジネスの場で生きることもあった。会の7代目代表幹事を務める元大和証券常務の野島斌は債券部門の部長時代、日本銀行の国債担当、八尾和夫と顔を合わせる機会が多かった。業務上の会話以外、交わしたことがなかった2人がある日、お互い慶応OBで野球部の熱心なファンであるとわかり、たちまち意気投合した。野島は即座に八尾を会に誘い、以来、現役時代のビジネスではもちろん、第一線を退いてからもネット裏三田会が2人を結んでいる。

発足は1981年

紅一点の平野さん(右)、元東芝エレベータ社長の西岡さん(中)と元野村副社長の田村さん(左)は昭和39年卒の同期生

紅一点の平野さん(右)、元東芝エレベータ社長の西岡さん(中)と元野村副社長の田村さん(左)は昭和39年卒の同期生

ネット裏三田会が発足したのは1981年。当時、なかなか優勝できなかった慶応野球部をネット裏からも応援しようと、7人のOBが立ち上がった。思いは4年後に結実し、85年秋、慶応は13年ぶりの優勝を飾った。以来、メンバーは増え続け、現在は総勢120人、物故者を入れれば200人を超えるまでになった。

メンバーは神宮のネット裏から母校を応援するだけでなく、春秋のリーグ戦の開幕直前、すき焼き会を開き、選手に栄養補給をする。昭和38年(1963年)度の野球部主将で、元東芝エレベータ社長の西岡浩史は「選手にとってネット裏三田会は精神的な支柱。シーズン直前のすき焼き会をみんな楽しみにしている」と語る。野球部監督の江藤省三もネット裏三田会を「ほかにこんな会はない。他校の監督からもうらやましがられる」という。

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック