移民問題、切実さ募る 強烈な問題作「プレイ」
東京国際映画祭リポート(2)
コンペ作品には移民の問題を取り上げた作品が目立つ。国際映画祭ではおなじみのテーマだが、その内容はより切実さを増している。移民排斥を訴える男が7月に起こしたノルウェー連続テロ事件は記憶に新しい。ヨーロッパの経済危機を背景にした不気味な影は東京映画祭のスクリーンにも映っている。
会期前半の上映作品で映画として最も力強く、同時に政治的な問題もはらんでいたのはスウェーデンのリューベン・オストルンド監督「プレイ」(スウェーデン、デンマーク、フランス)だ。
冒頭のショッピングセンターのシーンから強烈である。ヨーテボリといえばスウェーデン第2の都市だが、ショッピングセンターというのは世界中どこでも同じようなものである。広大な吹き抜け空間があって、子どもたちがたむろしている。
白人の子どもたち2人は身なりがよい。パステルカラーのパーカーを着て、iPhoneなんかももっていて、楽しそうに話している。その様子を遠くからずっとうかがっているのはナイキを着た数人の黒人の子どもたち。白人の子どもたちより年かさで、体も大きい。やがて2人の黒人が白人の1人に近づき、「携帯電話を見せろ」と言う。おそるおそる見せると「弟の携帯と同じところに傷がある」と難癖をつける。
カツアゲである。
そのカツアゲの過程を、遠く引いた位置に固定されたカメラがとらえる。延々と長回しである。白人2人、黒人数人は豆粒くらいにしか見えないが、一人ひとりのキャラクターははっきりと色分けされている。この手腕はただ者ではない。
その後、白人2人にやはり身なりがよい東洋人1人が加わった3人組を、黒人の子どもたちはつけ狙う。楽器店、バス、ファストフード店、電車、駅、団地、野原……。黒人グループは打ち合わせ通り、脅し役となだめ役を分担し、白人と東洋人を追いまわし、連れまわしながら、精神的に追い詰めていく。
驚くことに、どの場所も冒頭のショッピングセンターのシーンと同じで、徹底したワンシーンワンカットで撮影されている。カットをわらずにカメラを長回しするこの手法は、日本では溝口健二や相米慎二が得意とした撮影法で、俳優の自然な動きと生々しい時間をとらえる。カツアゲの様子がまるでドキュメンタリーのように真に迫っているのだ。
大人たちの影は薄い。子どもたちが助けを求めた店員はつれないし、バスの同乗者や運転手も傍観するばかりだ。子どもたちの親に至っては、姿を現さないどころか、携帯電話にも出ない。時折現れる白人の大人たちは、黒人を明らかに見下していたり、逆に教条的な反差別主義者だったりと、どうも血の通っていない人物ばかりだ。すべては子どもたちの物語なのである。ここらあたりも大人不在のドラマであった相米作品を想起させる。
浮かび上がってくるのは、どうしようもない白人社会と黒人社会の溝、そして、大人と子供の溝である。そのことを徹底したリアリズムでとらえている。
ただ、あらすじでおわかりの通り、不良の黒人が善良な白人をひたすら痛めつける話である。そんないじめを生む社会的背景は一切描かれない。もちろん、子どもたちの行動ぶりから、その背後にある格差や偏見の根深さを十分にうかがわせているから、映画的には豊かな達成がある。しかし、黒人の観客にとっては不愉快かもしれない。今年のカンヌ国際映画祭監督週間でも上映された強烈な問題作だ。
極端な民族主義の台頭を戯画的に描いたのはイタリアのフランチェスコ・パティエルノ監督「別世界からの民族たち」(イタリア)である。
かっぷくの良い企業経営者がテレビのショーで演説している。差別主義丸出しの移民批判である。すると、不思議なことが起きる。イタリア国内から、いつのまにか、すべての移民が姿を消してしまったのだ!
スーパーも病院もゴミ収集も、あらゆる社会的機能がストップする。この経営者の工場だって動かない。これは困った。経営者に謝ってもらおう。ところが、テレビカメラの前の経営者は謝罪文を棒読みした後で、さらに激烈な移民批判を始める……。
極端な人物と極端な設定による風刺劇である。こういう形で移民問題を描くというのも、失業や社会不安の増大と共に左右の対立が高まった状況の反映なのだろう。債務危機がのしかかるヨーロッパの病理が垣間見える。
メキシコからアメリカへの不法入国をやはり喜劇仕立てで描いたのがアルトゥーロ・ポンス監督「羅針盤は死者の手に」(メキシコ)。シカゴを目指して国境を越えようとする少年が、老人の荷馬車に乗せてもらうが、老人はコンパスを手にしたまま、死んでしまう。荒野をさまよう荷馬車には、さまざまな人が乗ってくる、という物語だ。
ご都合主義の物語は不条理劇にはつきもので、そういう点ではルイス・ブニュエル的な面白さもある。ただ、一人ひとりの人物や国境の風景が十分に描かれているとは言い難かった。
民族対立を題材にしたという点では、フランス人のシルヴァン・エスティバル監督がパレスチナのガザ地区を舞台にした「ガザを飛ぶブタ」(フランス、ベルギー)もある。これもコメディーである。
主人公はパレスチナ人の貧しい漁師。ガザの自宅の屋上は侵攻してきたイスラエル軍の見張り台になっている。ある日、漁師の網に豚がかかる。イスラム教では不浄な動物だ。気味悪がりながらも、生活のために、これをひそかに売ろうとするが、売れない。仕方なく、ユダヤ人の入植地に行ってみると、金網越しに「精子だけなら買う」という……。
パレスチナ人の主人公をイスラエル人の人気俳優が演じるなど、ひねりを利かせたのも喜劇ゆえだろう。ただ、下ネタ満載とはいえ、パレスチナ人やイスラエル人の心の深いところに降りて行っているとは思えなかった。せっかく豚という映画的に面白い動物を使いながら、これもあまり生きていない。
22日のオープニングセレモニーで野田佳彦首相がフランク・キャプラ監督の「スミス都へ行く」に触れたあいさつはしゃれていた。ジェームス・スチュワート演じる田舎の青年議員が腐敗したワシントンの政界に一人で挑戦するという名作である。野田さんも初心を忘れずがんばってもらいたい。首相の臨席が示すとおり、東京映画祭は日本のコンテンツ産業振興の中核イベントと位置付けられている。レセプションもすっかり盛大になった。
ただ、会場がごったがえしている割には、映画関係者の姿が少ないのが気になった。公式オープニングのポール・W・S・アンダーソン監督「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」はドイツ、フランス、イギリス合作の3D大作。ハリウッドに対抗すべく、豪華な宮殿や衣装などヨーロッパの風物をちりばめた冒険映画だが、人物の造形やストーリーが弱く、映画としての厚みに欠けた。ハリウッド風のいたずらに派手な空中戦がいかにも貧相で陳腐。東京映画祭の「格」はこの程度か、と悲しくなった。
(編集委員 古賀重樹)
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