「酒井抱一と江戸琳派の全貌」展風流公子の憧れの軌跡

2011/10/21


次男坊は、つらいねえ。「酒井抱一(ほういつ)と江戸琳派の全貌」展(千葉市美術館)を見て、思い浮かんだのは、そんな言葉である。武家の名門に生まれながら、嫡子にはなれなった男、抱一。彼の画業は、自分探しの軌跡に見えてくる。

まずは、「琳派って何」というところから始めよう。一言でいえば、それは憧れの系譜である。狩野派や土佐派といった流派が、家系によって技を伝承したのに対し、琳派は、父子相伝の流派ではない。江戸時代初期、京都で活躍した俵屋宗達・本阿弥光悦に、はるか時代を下った元禄・宝永期の尾形光琳が憧れ、さらに場所も時代も隔てた江戸の酒井抱一(1761~1828)が光琳に私淑して、「宗達~光琳~抱一」という系譜を整備した。金銀を多用し、装飾的なデザイン感覚が際立つ彼らの作品は、古典的な日本美を代表する芸術として、海外でも注目を浴びてきた。本展出品の酒井抱一「青楓朱楓図屏風」は、抱一が光琳の図様を模写して描いた琳派的な美意識を象徴する作品である。

琳派展がたびたび企画される近年、抱一の作品も頻繁に人目に触れているが、展覧会では、あくまで宗達、光琳の後に来る「3番手」の絵師として紹介されることが多かった。

しかし考えてみれば、抱一は、最初から光琳の継承者であったわけではない。元をたどれば、武門の名門、譜代大名、姫路酒井家の次男忠因(ただなお)として江戸に生まれた男である。では、なぜ彼は京都の商家に生まれた光琳に憧れ、先人たちを顕彰する事業に打ち込むまでに至ったのか。

抱一を主役に据えたこの展覧会は、この点を強く意識させる構成が、とりわけ目を引いた。抱一を描いた肖像画がある。浮世絵師であり洒落本作者であった山東京伝が絵を描き、狂歌師の宿屋飯盛が選んだ狂歌師の肖像集「吾妻曲狂歌文庫」。その巻頭に掲げられた「尻焼猿人(しりやけのさるんど)」が、抱一その人である。脇息に右手をつき、左手でキセルを使う姿は、まさに貴公子然としている。御簾(みす)越しの肖像自体、高貴な生まれとして特別扱いを受けている様子がある。この時、抱一数え26歳。6歳年上の兄、忠以(ただざね)は、姫路藩15万石を治める酒井家16代当主であり、祖父忠恭(ただずみ)は幕府老中職の筆頭を務めた武家の名門だったのだから無理もない。

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