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歴史博士

「俳聖」松尾芭蕉に7つの異説 実は土木技師だった?

2011/10/19

江戸時代の俳聖・松尾芭蕉が亡くなった日、芭蕉忌(旧暦10月12日)の時期となった。「芭蕉忌」は季語でもある。最近はネット投句の流行で「五七五」の世界に親しむ若年も増加、芭蕉への関心も高まっている。芭蕉には俗世を捨てた漂泊の詩人、孤高の求道者といったイメージが定着しているが生身の一面に迫る試みも進んでいる。7つの説を追ってみた。

1. 河川インフラの先端エンジニア

「悪党芭蕉」(新潮社)などの作家・嵐山光三郎氏は芭蕉の実像を運河開削など河川インフラの先端エンジニアと位置付ける。芭蕉は築城・土木・水利工事が得意だった伊賀(三重県)藤堂藩の出身。30代に神田上水工事の監督官を務めていたことが知られている。

さらに「『おくのほそ道』は幕府に命じられて伊達藩などの運河視察が狙い」と嵐山氏はみる。運河開削や水路工事は農業、産業用や軍事用、防災など各藩にとって特に重要だった。最上川や阿武隈川、那珂川など東北の主要水路を見て回り、金沢でも調査のためか長く滞在している。有名な「五月雨をあつめて早し最上川」など河川に関連した句も多い。

「鹿島紀行など他の旅も水運を多く利用している」と嵐山氏は説く。「水の道」をキーワードにした新・芭蕉論を来年から展開するという。

2. 伊達藩を監視?

昔からある「芭蕉=隠密」説の解明を試みたのが国際日本文化研究センターの光田和伸准教授だ。「おくのほそ道」では芭蕉は約150日間で約2400キロメートルを踏破した計算になる。隠密説はトンデモ伝説の一つにも思えるが「隠密が証拠となる文字資料を残さないのは当然」(光田准教授)という。「芭蕉めざめる」(青草書房)で何種類もの古地図や江戸時代の史料を読み解いた。光田准教授は芭蕉が幕府内で直轄領を監督するなど重要な位置を占める伊奈代官家の組織の人間と結論付けた。

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