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「モダン・アート、アメリカン」展「アメリカらしさ」の多様性

2011/10/19

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アメリカらしい、といわれる画家がいる。

たとえば1930年代の「リージョナリズム(地域主義)」。不況下の米国で、西部の雄大な自然や小さな田舎町の田園風景、つつましやかに生きる労働者などをテーマとする画家たちが現れた。多くの米国民がアメリカの原点だと感じ、郷愁を寄せる情景。リージョナリズムは米国人の誇りを体現したと評価され、苦境にあえぐ人々の支持を得た。

あるいは、スーパースター、アンディ・ウォーホルを筆頭とするポップ・アーティスト。マリリン・モンローらセレブの肖像やコミックの一コマなどを大量の版画や絵画で流通させた。豊かな消費社会とメディア文化の申し子は、まさにアメリカ的と呼ぶほかない。

では、その「アメリカらしさ」とはいったい何なのか。米国のフィリップス・コレクションの所蔵品110点を紹介する「モダン・アート、アメリカン」展を見ながら、そんなことを考えた。同展がカバーするのは19世紀半ばから60年代まで。アメリカならではのリアリズムの模索が始まり、ヨーロッパのモダン・アートを吸収しながら、初めての「米国発の絵画」とされる抽象表現主義の誕生に至るアメリカン・アートの歩みをたどる。ポップ・アートは含まれないが、エドワード・ホッパー、ジョージア・オキーフら代表的な作家のほか、米国風の印象派やキュービスムを志した画家、マイノリティーの目を持つ移民やアフリカ系、素朴派の画家もいる。「アメリカらしさ」の多様さが浮かび上がるユニークな展示だ。

幕開けはエドワード・ヒックスの「平和な王国」(1845~46年)。幻想的な森の中で、トラなどの獣たちと少女や子供が戯れている。夢見ごこちなタッチはアンリ・ルソーのようでもあるが、ここに描かれているのは熱帯の異国の風景ではないことに注意。後方の水辺には帆船。紙を掲げて先住民族になにやら説明している男たちの姿もある。アメリカの歴史は未知の新大陸への入植とともに始まったことを、この絵は告げる。

アメリカ開拓のシンボルである西部は画家たちの格好の題材である。オキーフのモチーフはその典型といえる。一時期はニューヨークで前衛的な芸術集団とも交流したが、やがてオキーフはニューメキシコ近郊の風景と自然に心ひかれていった。乾いた風が砂を巻き上げ、低木を揺らしながら吹き抜ける荒涼とした大地。白骨化した動物の骨や大きくクローズアップされた植物。もともと中西部の農家に生まれ、晩年はたった1人で砂漠地帯に暮らした画家が描いたのは、アメリカのフロンティア精神のようなものであった気がする。その絵の前に立つと、広大な土地に身ひとつで分け入る開拓の厳しさが、画家自身の孤高の生き方とないまぜになって、心に迫ってくるのである。

アメリカ社会をリアリズムで描いた「アメリカン・シーン」派の代表格としてしばしば名前が挙がるホッパーは、実はリージョナリズムの偏狭な愛国心を嫌っていた。自分が描いているのは米国の風景でも、庶民の日常でもない、「自分自身の内面なのだ」と言ってはばからなかった。以前、そのホッパーの絵の「アメリカらしさ」を米文学者の青山南氏に尋ねたことがある。青山氏は意外なところに着目していた。ホッパーが描く人けのない窓辺には、外の様子をうかがう人間の気配がある、というのだ。よそ者に対する過敏なまでの警戒心、あるいは都会に暮らす孤独の表現なのか。いずれにしてもホッパーの絵にはフレンドリーさとは異なる、アメリカの寂しさが映っている。

新聞の報道画家出身で社会派のまなざしを貫いたジョン・スローン、黒人文化の語り部としてハーレムで活躍したジェイコブ・ローレンス、気高さをたたえた抽象画のマーク・ロスコやクリフォード・スティル――。全体的に内省的で知的な印象を受けるのは、不況や戦争などといった時代の雰囲気のせいばかりではないだろう。アメリカの画家たちが表面的な題材の描写にとどまらず、人間と社会を深く見つめたためである。この後、経済の繁栄に後押しされたポップ・アートの誕生とともに、「アメリカらしさ」は劇的に変化していく。

(文化部 窪田直子)

12月12日まで、東京・六本木の国立新美術館。

◇◇◇展示作品から◇◇◇


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