シス・カンパニー「泣き虫なまいき石川啄木」作者井上ひさしとの苦悩の二重唱

SMAPの稲垣吾郎が主演するのが話題だが、それはさて、作者の井上ひさしが作品にことよせた深い祈りがなにより見どころとなる舞台だ。平田満が主演した1986年の初演(こまつ座)は今思いかえしても重苦しいものだった。常のような挿入歌も音楽もなく、沈みこむ極貧の石川啄木の苦悩ばかりが大写しになる。数ある評伝劇のなかでも、これほど沈鬱な作は珍しいが、それもそのはず、これは作者の実人生の苦悩を濃厚に映す作だからだ。私小説ならぬ私戯曲なのである。

そのことをやはり書こう。

井上ひさしは1983年1月、自作を上演する拠点として「こまつ座」という集団を旗揚げした。座長として切り盛りしたのは当時の夫人で、持ち前の活力で引っ張っていた。旗揚げ公演の「頭痛肩こり樋口一葉」や「昭和庶民伝三部作」は女座長が井上ひさしの背中を強く押し、筆をとらせた作である。だが「泣き虫なまいき石川啄木」を執筆したころ、彼女はこまつ座の舞台監督のもとへ走った。新潮社刊「井上ひさし全芝居 その四」の解説(扇田昭彦)によれば、衝撃を受けた井上ひさしは睡眠薬を飲んで自殺未遂まで起こした。さっぱり原稿は書けないが、初日は迫る。恐ろしい修羅の日々の中で書いたのである。

叙情歌人、石川啄木は自己に甘く、金を借りまくり、周囲に迷惑をかけ通しだったといわれる。井上戯曲も親友の金田一京助がなにくれとなく金を工面してくれる場面を書くが、むしろ援助のあてがなくなってからの研ぎ澄まされた日常に焦点を合わせる。絶望の沼に沈む日々は、だが不思議な底光りをたたえ、生きる大切さを観客にじんと伝えてくるのである。啄木さんの苦しみに比べれば、我が悩みは何程のものか、と。

啄木の親友から妻節子は恋文のようなものをもらう。京助の妻もまた怪しい手紙をもらう。ふたりとも妻の裏切りに疑惑をつのらせ、あえぐ。京助にいたっては苦しみぬいた末、線路に身を横たえるが、死ねなかったと告白し、こういう心境にいたる。

「いや、わたしの妻にも詫(わ)びさせよう。心から詫びてくれれば、わたしももう一度やり直すつもりは十分にあるんだから」

井上ひさし自身の心境を感じさせる、ぎりぎりのセリフだろう。このあと死の病といわれた結核にかかった啄木は同病の節子と同じ布団にくるまり、夜なきそばを注文する。絶望の果てで、そばを一緒に食おうという心。枯れたそばの味覚がしのばれ、切ない。かすかな希望の灯に心打たれる場面だ。

26歳で死ぬ啄木が本郷弓町でおくる、あまりに早い晩年の日々。実生活の苦悩が大逆事件への怒りとなり、評論「時代閉塞の現状」にみられる社会主義、無政府主義への志向を生む。家庭内の背信から社会全体の幸福への思いを膨らませ、さらに死を目前にしたまなざしから人の融和を見とおす。この作以降、井上戯曲は死後の視点、末期の目で世の争いを見すえるようになっていく。祈りの作劇の始まりとみていいだろう。

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