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歴史博士

幕末の「天誅組」終えんの地 今もたどれる最期の戦い 鷲家口(奈良県東吉野村) 古きを歩けば(2)

2011/9/27

 大政奉還の4年前、文久3(1863)年。紅葉に染まる奈良・吉野の山中で、倒幕を叫んで蜂起した志士ら「天誅組」が幕府側の追討を受けて壊滅した。終えんの地、東吉野村には当時の町並みが今も姿をとどめ、集落のあちこちにかかる説明板で志士らが繰り広げた最期の戦いをつぶさにたどることができる。

 吉野口から険しい山地に入り、峡谷を縫うように走る道を抜けると、村役場のある小川の集落に着く。ここは幕末には鷲家口(わしかぐち)と呼ばれ、交通の要衝だった。

村役場がある小川の集落。幕末には鷲家口と呼ばれていた(奈良県東吉野村)

■京都での政変で「逆賊」に

 この地で幕を閉じた「天誅組の変」は、尊皇攘夷派による初めての武力蜂起とされる。同年9月29日(旧暦8月17日)、脱藩浪士ら約80人が奈良・五條にあった代官所を襲い、「天誅組」を名乗った。後の明治天皇のおじにあたる公卿、中山忠光を主将に担ぎ、土佐を脱藩した吉村寅太郎ら総裁3人が指揮を執った。

 だが翌日に京都で政変が起き(八月十八日の政変)、頼りにしていた尊皇攘夷派の公卿らが失脚。天誅組は「逆賊」となってしまう。一時は十津川郷士の加勢を得て高取城を攻めるなど気勢を上げたが、離脱者が相次ぎ、追討軍に追われて吉野の山中をさまよう。討手の彦根藩勢が固める鷲家口にたどり着いたのは148年前の11月5日だった。

 その夜、主将が脱出する隙をつくろうと、鷲家口の彦根藩本陣に決死隊が突入。凄惨な戦いが周辺で5日ほど続き、双方合わせて約20人が戦死した。戦傷のため動けなくなっていた吉村寅太郎は、薪(まき)小屋に隠れていたところを追っ手に見つかり、銃弾を浴びて死亡。中山忠光ら数人が脱出したものの、天誅組は瓦解した。

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