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歴史博士

奈良・大和盆地に「太陽の道」 一直線上に遺跡・社寺 異説の日本史(1)

2011/8/10

万葉集の冒頭に登場する枕ことば「そらみつ」は「大和(の国)」にかかる。日本書紀に記された謎の言葉「空見つ日本(やまと)の国」が語源で、「大空から眺めて良い国だと選ばれた」の意だ。「天の岩船」というUFOを思わせる飛行物体に乗ったニギハヤヒノミコトが「国の中心地」に着陸し、後に神武天皇が「畝傍山の東南の橿原の地」を「ここは国の真中だ」と考えて今の奈良県橿原市に都を置いたという伝承に由来する。くしくも、大和盆地を「空から」の視点で研究した説は少なくない。多くの学者が認める定説ではないが、歴史ファンを魅了してきた「太陽の道」「聖なるライン」など、「空見つ日本」の異説を紹介しよう。

「あれは稲作と密接につながる太陽信仰、つまり日本人の信仰の原点にかかわる話だった。だから多くの人の心に響いたのでしょう」と振り返るのは、「大和の原像」(大和書房、1973年)で「太陽の道」を提唱した小川光三さん。著名な仏像写真家でもある。「太陽の道」は80年にテレビのNHK特集「知られざる古代~謎の北緯34度32分をゆく」で紹介され、多くのファンを生んだ。

檜原神社 大烏大社 大坂山 箸墓古墳 長谷寺 室生寺 伊勢斎宮跡

卑弥呼の墓説もある箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺をはじめ、大和盆地を中心とする著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並び、東は三重県の伊勢斎宮跡、西は堺市の大鳥大社(さらに淡路島の遺跡や古社)まで延びるという。

この「一直線」は「ほぼ一直線」であり、南北にずれる遺跡もあるのだが、記紀神話などとの奇妙な暗合が「太陽の道」説に説得力を与えた。

■「元伊勢」と呼ばれる檜原神社

まず檜原神社と伊勢斎宮跡の関係。この2つはほとんどずれなく同じ緯度にあり、天照大神(日の神=太陽神といわれる)でつながっている。

長らく宮中にまつられていた天照大神は、第10代崇神天皇の時代に初めて宮中を離れ、皇女トヨスキイリヒメノミコト(初代の斎王)に託され大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に移される。笠縫邑の有力な伝承地が檜原神社だ。次の第11代垂仁天皇は皇女ヤマトヒメノミコトに天照大神を託す。ヤマトヒメは大神が鎮まる場所を求め長い旅に出て、大和の笠縫邑から伊勢にたどりつく。それで檜原神社は「元伊勢」と呼ばれる。



■箸墓古墳から大坂山までのバケツリレー

次に箸墓古墳と大坂山(穴虫峠)の関係を見ていこう。

檜原神社の近く、ほぼ真西にある前方後円墳、箸墓古墳は「倭の女王・卑弥呼」の墓ではないかとされ、周辺の纒向遺跡を「邪馬台国」とする説もある。日本書紀によれば、箸墓古墳は「昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を運んで造った。山から墓に至るまで人民が連なって手渡しにして運んだ」(「全現代語訳 日本書紀(上)」講談社学術文庫より)。大和盆地の西端の大坂山から、東端の箸墓古墳まで、バケツリレーのように人が連なったという。まるで「太陽の道」のラインを暗示しているかのようだ。

檜原神社のしめ縄の下から大和盆地を眺めると、西に二上山の美しい山容が見える。二上山の北側、穴虫峠が檜原神社の真西にあたる。この峠道は逢坂(大坂)道とも呼ばれた。小川さんは「大和の原像」にこう書いている。「(檜原神社の)社頭から穴虫峠への落日の見える日は、正確に春分又は秋分の日に当たることになる」

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