奈良から京都、南北縦断「聖なるライン」に天皇陵・有力古墳
異説の日本史(2)
前回は紀伊半島を横切る北緯34度32分の線上に太陽祭祀(さいし)の古代遺跡が並ぶという「太陽の道」説を追った。大和盆地にはそれに匹敵する南北のラインの存在も指摘されている。「聖なるライン」だ。
7~8世紀の有力者の古墳が線上に
始まりは1970年、岸俊男・京都大学教授(当時)が天武・持統合葬陵(奈良県明日香村)は「藤原宮中軸線の南方延長上に位置する」と指摘したことだった。41代持統天皇(40代天...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り1748文字
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。