2011/6/23

歴史博士

首都圏での花火大会中止が相次ぐ中、隅田川花火大会は例年より1カ月遅い8月27日に開催される。慰霊、鎮魂を目的とした起源の由来から実行委員会事務局は「例年通り約2万発を打ち上げる」としている。

祇園祭は貞観時代から

7月1日の吉符入(きっぷいり)から31日の疫神社夏越祭まで1カ月間続く京都の祇園祭。始まりとされるのは平安朝の御霊会(ごりょうえ)。最初に朝廷が催したのは貞観5年(863年)だった。

貞観時代は各地で地震、噴火、疫病の流行などが相次いだ。当時は恨みを抱いたまま不慮の死を遂げた人々の霊の仕業と考える怨霊信仰が一般にも流布していた。貞観の御霊会では祟(たた)りを鎮めるため早良親王らの霊を供養しにぎやかな舞や音曲で慰めたという。

東日本大震災と類似するとされる貞観地震・津波が起こった貞観11年(869年)の御霊会では祇園社(八坂神社)から神輿(みこし)を送って疫病退散を祈願したという記録が「祇園社本縁録」にある。これが現在の祇園祭の始まりとなったという。

貴族の日記にも祇園御霊会の記述が残っており、10世紀後半には定着していたとされる。神輿の行列は年々華やかになり法皇や関白らも見物に出かけていく夏の中心的な行事になったようだ。

祭りの主体が町衆に移り現在のハイライトである山鉾巡行に近い形ができあがるのが室町時代。災害・戦災などで祭りの中断や山鉾の焼失はあったもののその度に復活。山鉾の装飾には中国、インドから中近東などの輸入品も多く使用されている。

次のページ
仙台七夕も大飢饉と関係