よく分かるパウル・クレー、音楽を描いた画家

童画のような純朴さが魅力の素描、色の祭典とでも形容したくなるような抽象画、文字が勝手に命を得て歩き始めたような線描――。スイス出身の画家、パウル・クレー(1879~1940年)の多彩な作風の根底には「音楽」がある。クレーは、画家になる前にプロのバイオリニストだった。作風形成の神髄に迫るこの特集では、クレーの音楽の世界にいざなうことから歩を進めよう。(文化部 小川敦生)

「バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!」(1921年、24.4×31.2センチ、油彩転写、水彩、紙、厚紙、個人蔵) ベルンの収集家が所有している作品。素描から油彩転写という独自の技法で制作した

「パウル・クレーはバイオリニストよりもビオリスト(ビオラ奏者)に近い」

世界的なバイオリニストとして知られる庄司紗矢香さんの言葉だ。バイオリンとほぼ同じ形でサイズがやや大きなビオラの特徴は、音に厚みと深みがあることだろう。パウル・クレーの息子、フェリックスの著書を読んで、クレーの優しく温厚な性格に感じ入り、脳裏にそんな印象が浮かんだという。

なぜクレーを音楽家になぞらえるのかについては、少々説明が必要だ。スイス出身のクレーは父親が音楽教育家、母親が声楽家という音楽一家に生まれ、7歳の時にバイオリンを習い始めて11歳の時には地元のプロオーケストラ、ベルン市管弦楽団の非常勤団員になるという早熟ぶりだった。その後も断続的にオーケストラに出演しており、バイオリニストは本職だったのだ。

画家への転向を図ってからも、弦楽四重奏を楽しむなど、ほぼ終生、楽器を弾き続けている。庄司さんが性格をなぞらえたビオラも、実際に弾いていた。「新版 クレーの日記」(ヴォルフガング・ケルステン編、高橋文子訳、みすず書房刊)によると、1904年後半に「楽しみの幅を広げるために」ビオラの譜面を読む練習を始め、翌年、「初めて(弦楽四重奏の)ヴィオラのパートを弾いた」。弦楽四重奏の集まりでバイオリンの2人が表現をめぐってけんかを始めた時には、「ヴィオラ弾きの私には何処吹く風だ」と超然としていた。ビオラを随分気に入っていたのだろう。

1898年、絵の勉強のためにスイスの首都ベルンから移り住んだドイツ南部のミュンヘンは音楽都市でもあった。作曲家自身の指揮によるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」や、名演奏家パブロ・カザルスが独奏をするハイドンのチェロ協奏曲の演奏を聴くなど、日記には音楽に関する記述があふれている。

音楽にどっぷりつかっていたクレーが絵画という媒体で音楽を表現しようとしたのは、自然なことだった。「新しいハーモニー」や「ポリフォニー」など音楽関連用語を作品名に使った例は多く、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」のアリア「バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!」はそのまま、クレーが油彩転写という独自の技法で制作した作品の名前になった。

「赤のフーガ」という作品では、色彩の階調変化によって時間の推移を表し、白・灰・黒の同系3色で和音を表すような試みも行った。音楽は時間芸術、絵画は空間芸術という区分けは、クレーにとっては乗り越えられる壁だったようだ。ドイツで美術教師として教べんを執った教育施設のバウハウスでは、音楽理論を踏まえた授業をした。

そもそも楽譜は視覚化された音楽であり、オーケストラの指揮者は指揮棒による動き、つまり、目から入る情報で奏者たちに出すべき音のイメージを伝える。オーケストラでバイオリンを弾いた経験のあるクレーは、音楽の視覚表現が可能なことに早くから気づいていたのだろう。

自身も絵を描く庄司紗矢香さんは、ニューヨークの美術館で初めてパウル・クレーの絵を見た時のことを思い出し、こう話してくれた。

「傷のような無数の線と色面による構成が魅力的な作品だった。前に立つと色の合奏に引き込まれ、美しい音楽を聴いた時のように自然と涙が溢れてきた」

庄司さんは作品の前に立ち、30分ほどの間、見続けたそうだ。そして、「たった1枚の絵画を鑑賞するのに30分もの時間をかけたことが、時間芸術である音楽に通じていると気づかされた」。

気鋭の演奏家の心をもつかんで離さない表現を紡ぎ出したのは、クレーの絵画上の「音楽」だった。

展覧会名 パウル・クレー展―おわらないアトリエ
PAUL KLEE: Art in the Making 1883-1940
会 期 2011年5月31日(火)~7月31日(日)
会 場 東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
観覧料 一般1500円、大学生1100円、高校生700円
開館時間 午前10時~午後5時(6月の金、土曜日は午後6時まで開館。入館は閉館の30分前まで)
休館日 月曜日(ただし7月18日[月・祝]は開館

注目記事