モレッティの洞察力、ダルデンヌ兄弟の純粋さ
カンヌ映画祭リポート2011(6)
コンペ部門は前半からパルムドール受賞経験のある巨匠の作品が相次いで登場した。いずれも上質の作品で、うるさ型がそろうプレス向け上映でも終了後に敬意を込めた拍手がわき起こった。
まず13日に公式上映されたのがイタリアのナンニ・モレッティ監督の「ハベムス・パパム」。題名は「われわれは法王を得た」という意味で、新しいローマ法王をサンピエトロ大聖堂のバルコニーで発表するときの恒例の第一声である。フランスの名優ミシェル・ピコリが法王を演じ、ベールに包まれたバチカンの世界を大胆に描くという野心作だ。
サンピエトロ広場に集まる数万人の群衆の記録映像を交えた壮麗な冒頭シーン。法王誕生が告げられようとしたとき、事件が起こる。新法王に決まったメルヴィレ枢機卿(ミシェル・ピコリ)が、重圧に耐えられず、悲鳴を上げ、バルコニーに出ることを拒んだのだ。
心を病んだ新法王のために精神分析医(ナンニ・モレッティ自身が演じる)が呼ばれる。しかし、治療しようにも法王は身の上話を禁じられ、名前さえ明かせない。孤独な法王はついに法王庁を逃げ出す。枢機卿たちは事実を隠したたまま収拾策を探る……。
高貴な重要人物が孤独と不安にさいなまれ、治療のために専門家が呼ばれるという筋書きは、日本で公開中の映画「英国王のスピーチ」に似ている。ただ同作が内気な国王とスピーチ矯正家の人間ドラマに焦点を当てるのに対し、モレッティはローマ法王庁という社会の構造そのものに迫りながら、人間としての法王を浮き彫りにしていく。
ある種のタブーともいえる題材なのだが、告発調ではない。どんな社会にもある本音と建前の違いからくる様々なストレスを軽快に切り取り、アイロニーを込めて描き出す。たとえば精神安定剤を飲んでいる枢機卿たちに医者がスポーツを勧め、一緒にバレーボールに興じたり、町に出た法王が百貨店をさまよい、ドーナツをほお張ったり。
カトリック教会の反応は賛否両論だという。01年「息子の部屋」でパルムドールを手にした監督にとって、ベルルスコーニ首相を描いた06年「カイマーノ」(日本未公開)以来の新作だが、さすがモレッティ。機知と洞察力は健在だ。
今村昌平、ビレ・アウグストと並ぶ数少ない2度のパルムドール受賞者、ベルギーのジャンピエール&リュック・ダルデンヌ(ダルデンヌ兄弟)は15日に登場した。「息子のまなざし」「ある子供」など、社会的に困難な状況にある子供に目を向けてきた2人は、新作「自転車の子供」でも少年を凝視する。
冒頭、大人を振り切って児童相談所を抜け出した少年は、ほぼ全編にわたって走り続ける。父親を捜すため、机をくぐり抜け、遊具を飛び降り、道を駆け抜け、自転車を走らす。一時も休まない少年の動き。それは、突き上がる衝動、やむにやまれぬ切迫感を、形にしたものだ。そこにはすべてを動く絵と音で表現する純粋な映画の輝きがある。
そう。子供はいつも動いている。すこぶる映画的な素材だ。トリュフォーの「あこがれ」、キアロスタミの「友だちのうちはどこ?」の走る少年の姿が忘れられないように、この少年の姿も記憶に残ることだろう。
一方、初めて監督した作品でコンペに選ばれたのがオーストリアのマルクス・シュラインツアー監督の「ミヒャエル」。2009年にパルムドールを射止めた「白いリボン」のミヒャエル・ハネケ監督のキャスティングを担当してきた人だ。14日に公式上映された。
少年と中年男が2人で暮らしている。男は少年にハムを焼いて朝食を作ってあげたり、山に連れて行って羊と遊ばせたり、クリスマスツリーを飾りプレゼントをしたり。一見「クレイマー、クレイマー」の父子のようにけなげで、温かいドラマのようだ。ところがどこかおかしい。地下の少年の部屋のドアには鉄のかんぬきが付いていて外から鍵をかけている……。
2人に何があったのか何も説明しない。ただ淡々と2人の日常を追うことで、隠された異常性を暗示する。起こっていることは決して見せず、起こっていることの周辺だけを見せるという禁欲的な手法は、ハネケに通じる。観客の想像をかき立てる、これもきわめて映画的な方法なのだ。
映画という表現の可能性に挑む作品。そんな冒険的にして原初的な映画を集中して見られるのも国際映画祭ならではのことである。
(編集委員 古賀重樹)
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