健康・医療

患者は働く

病に生き方を問われ続けて 関節リウマチ(5) 斎藤昌子さん(47)

2011/3/27

 「子宮に悪性腫瘍の疑い」と言われ、一時は緊急開腹手術を覚悟しました。でも、時間をかけた精査の末、悪性の可能性は極めて低いと言われた時、体中の力が抜けました。

注射を自分でうつ(茨城県土浦市)

 仕事も地域医療連携室と院長室業務の兼任で、急な出張が続いたほか、若手スタッフの配属もあり管理的業務も担うなど、全く消化不良でした。気合でリウマチをカバーしていた「ツケ」を一気に払うように、ついに2005年末で、退職せざるを得なくなりました。治験期間も終了間近、リウマチの炎症反応値(CRP)はじりじり上昇していました。

 「最新技術を駆使したリウマチ新薬である、生物学的製剤を導入した治療に専念したい」。「かまってこなかった家族に、せめてもの罪滅ぼしがしたい」。それらの退職理由がいかにしっくりこないかは、本人が一番良くわかっていました。何がいけなかったのか、どうすればよかったのかとその後自責の念に駆られました。

 これ以降は病気も仕事も変化の激しい時期が続きました。

 病気では、リウマチは進行を抑えられていますが、子宮筋腫のために子宮は全摘手術を余儀なくされました。

 リウマチについては、05年6月から始めた生物学的製剤エンブレルによる週に2度の自己注射の効果が劇的で、わずか数週間でCRPが100分の1以下に。娘と向き合う時間も増えました。ただ、副作用や効果減退の不安、保険適用の3割負担でも年間約60万円超と高額な治療費負担という問題は残っています。

 2年前には筋腫が急に巨大になり、子宮全摘手術をしました。開腹してみると内膜症の癒着がひどく、片方の卵巣も摘出し、出血1300ccで4時間を超える手術になりました。今は更年期障害の症状を自覚しながらも、元気を取り戻しつつあります。

専門学校では若い世代の熱意に刺激を受けた

 仕事面も試行錯誤の繰り返しでした。07年4月には専門学校の医療情報分野で非常勤講師の職を得ました。学校では病院・医療情報管理、保険制度などを担当しました。当初は講義準備に四苦八苦しましたが、自分自身が学び直す日々でした。若い世代のひたむきさや就職活動に挑む熱意は新鮮で、刺激を受けました。

 半面、病院の医療連携室の仕事には未練が募っていました。娘の通学に便利な駅近くに転居し、フルタイムの仕事に対応できるよう生活環境を整えました。自分を鼓舞し、就職活動に励んだ結果、4月から公立病院の医療連携室で働くことが決まりました。今回は土地勘のない地域で、病院の組織も医療連携室の役割も違います。何より体調管理はうまくできるだろうかと不安だらけです。

 それでも四半世紀にわたり絶え間なく茨城の地で仕事の機会を与えていただき、1人では何もできないこと、「働く」イロハを学び、多くの方々に育てていただきました。出会ったみなさまのご縁に支えられ、「志あれば道は開ける」との思いで歩んできました。

 その道のりのほとんどを伴走してくれたリウマチには、限りある人生の時間をどのように生きたいか、いつも問い続けられた気がします。見守ってくれる家族の温かみを糧に、身の丈でこれからも地域医療に関わってゆけることは何よりの幸せです。一日一日最善を尽くしながら、新天地で奮闘したいと思います。

(斎藤昌子さんの項は今回で終わります)

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斎藤昌子(さいとう・まさこ) 1963年京都生まれ。85年国際科学技術博覧会を機につくばへ。自動車研究所勤務を経て、91年テキサス・インスツルメンツ筑波研究開発センター入社。95年関節リウマチ発症。2002年から地域の中核病院勤務。その後は専門学校の非常勤講師を経て、2011年4月より公立病院に勤務予定

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 「患者は働く」は、病気やその後遺症と折り合いをつけながら働き続ける姿を紹介するコラムです。本人にとっての働く意味やその上での工夫、周囲の配慮などについて、直腸がん、糖尿病、子宮頸(けい)がん、悪性リンパ腫、リウマチの5人の筆者が毎週リレー形式でつづります。

(おわり)

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