お江、淀殿―覆される通説 戦国女性たちの素顔実は、お江は気配り重視、現代的だった淀殿

お江、淀殿、ガラシャ夫人――。政略結婚の犠牲となって見知らぬ他国へ嫁ぎ、非情な運命に翻弄(ほんろう)される戦国時代の姫たちは、しばしば悲劇的に語られる。しかし最新の研究では堂々と武将たちに伍(ご)して、乱世に立ち向かった実像が明らかになっている。エネルギッシュな女性の真の姿が戦国の通説を書き換えつつある。

「姉さん女房で嫉妬(しっと)深く、夫の徳川秀忠を押さえ付けて自分の長男である家光を疎んじた」――。徳川2代将軍夫人で今年のNHK大河ドラマの主人公である「お江」の一般的なイメージだ。だが九州産業大学の福田千鶴教授は「江戸時代につくられた俗説」と全面否定する。2010年12月に出版した「江の生涯」(中央公論新社)では地方にも足を延ばして史料を渉猟し、お江の人物像を再構築した。

夫婦仲は良かったが、夫の側から女性を遠ざけるようなことはしなかったらしい。3度の政略結婚をこなすたくましさは備えつつも、出しゃばり過ぎないよう気配りしていたという。

家光はお江の実子でなかった?

福田教授は3代将軍家光がお江の実子ではなかったという新説を展開。幕府と関係の深い僧侶の当時の記録や、イギリス商館長の日記などから結論付けた。家光は「余は生まれながらの将軍である」との名文句で知られる。祖父や父の戦友でもあった大名たちにそう宣言できたのは正室の嫡男であればこそだが、実は根拠が薄かったわけだ。

それでもお江は家光の結婚に奔走する一方、各大名夫人らとの交際で裏のネットワークを築き、徳川幕府の基礎作りに貢献した。秀忠との間に7人の子をもうけたとされるが、実子は次男の忠長ら3人にすぎないという。

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淀殿、現代に通じる感性
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