2014/6/6

大ナゴヤを行く

今川義元の首を洗ったと伝えられる泉(名古屋市緑区)

双方が一歩も譲らない理由はもう一つある。観光資源としての「桶狭間」の魅力だ。450年に当たる10年前後から、歴史好きの観光客を呼び込むためのPRを展開。豊明市では約20人、緑区では13人のボランティアガイドをそろえ、観光客を無料案内する。緑区の13年の案内者数は5年前の100倍の約1万人に上る。もっとも、戦国時代の古戦場の「長篠の戦い」や「小牧・長久手の戦い」では地元に資料館があるのに対し、「桶狭間の戦い」にはないことが観光客誘致のネックとみる。

ともに「出陣」

それぞれの地で毎年「古戦場まつり」を開催。愛知県が今秋、大高緑地(名古屋市緑区)で開催する武将祭り「あいち合戦ワールド」には、ともに“出陣”するつもりだ。開催場所は桶狭間に近いことが決め手の一つとなった。愛知県は「2つまとまってPRした方が武将を通じた観光振興につながるのでは」と融和に期待を寄せる。

現代まで熱いバトルが続く「桶狭間の戦い」。そんな歴史に思いをはせれば、今までとは違った「桶狭間」を楽しめるかもしれない。(名古屋支社 小林宏行)

▼桶狭間の戦い 1560年(永禄3年)、駿河や遠江(ともに現在の静岡県)、三河国(現・愛知県)を手中にし、大軍を率いて攻め込んできた今川義元を、尾張の織田信長が討ち取った。今川軍には徳川家康(当時は松平元康)も加わった。
 かつては上洛を目指した義元を信長が奇襲で破ったとされた。最近では義元の狙いは尾張・三河国境周辺の制圧が目的だったという見方や、信長の軍勢は少数ではない上、奇襲ではなく正面衝突だったという学説もある。

戦国時代、歴史の重要な舞台となった中部地方は今、日本のものづくりの中核を担う。三英傑ゆかりの史跡や、自動車や陶磁器などの歴史を伝え続ける数々の産業遺産。そして「名古屋めし」に代表される独自の食文化の発信。関東、関西とは異なる文化を育み、様々な歴史を紡いできた「ナゴヤ圏」を紹介する。(随時掲載)

注目記事