桶狭間はこっちのもんだぎゃぁ 名古屋市緑区vs.豊明市

2014/6/6

大ナゴヤを行く

織田信長が今川義元を破ったことで有名な「桶狭間の戦い」。その主戦場を巡り、愛知県豊明市と名古屋市緑区の間で論争が続いている。戦国時代の歴史の舞台となってから450年余り。定説はなく、我が町が「本家」と譲らない。歴史ブームを背景に古戦場は今や、注目の観光地。愛知県は桶狭間近くで今秋に開く武将祭りに双方を招待する意向で、観光地としての「桶狭間」の魅力が、双方のPR合戦に拍車をかけているようだ。
桶狭間古戦場公園に建つ織田信長(左)と今川義元の銅像(名古屋市緑区)
愛知県豊明市にも「桶狭間古戦場伝説地」がある

名古屋鉄道中京競馬場前駅から数分歩くと、豊明市側の「桶狭間古戦場伝説地」が現れる。明治時代にできた義元の墓や、義元やその重臣が戦死した場所として江戸時代に建てられた7つの石碑などが並ぶ。

観光資源争奪

1937年に史跡として国から指定を受けており、地元団体「桶狭間古戦場祭保存会」(豊明市)の内藤四郎会長(77)は「国から指定を受けたのはここだけ」とアピールする。

古戦場伝説地から南西に約1キロ。名古屋市緑区にあるのは「桶狭間古戦場公園」だ。2010年、義元と信長の銅像を建立。石や小道などを配置し、桶狭間の戦いに登場する城やとりで、街道に見立てたジオラマもつくった。義元の馬をつないだとされる「ねずの木」や墓碑もある。

08年設立の地元団体「桶狭間古戦場保存会」(名古屋市緑区)の梶野泉会長(65)は「(緑区には)信長が義元を討ち取った後、村人に戦死者を埋葬するよう命じた塚がある」と譲らない。

「桶狭間の戦い」を扱った書籍の出版が相次ぎ、「本家」論争に火が付いたといわれる。論争が決着しない背景には、数少ない歴史文書の解釈が何通りにもできることがある。中近世史を専門とする名古屋市博物館の鳥居和之学芸課長(60)は、桶狭間の合戦を描いた江戸時代の絵図はあるが、「現在の地形にあわない」と指摘。合戦に関して記した「信長公記」も武将の動きなど記述はあるが、桶狭間に向かう道のりに関する記載は少なく、鳥居課長は「新たな資料などが出ない限り、論争は決着しない」とみる。

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