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製造課長としての仕事に専念する。

一番苦労したのがけがの撲滅でした。就任早々毎月のようにけがが発生しました。発生する都度、状況の説明と謝罪に役員である工場長の所へ出向きますが、それはもうコテンパンに叱られました。内心では「そんなこと言われても、この設備を入れたのは私の前任者の時のこと」などと自分を慰めていましたが、そうしたうちはけがは一向に減りませんでした。自分の取り組み姿勢に問題があると気付いてから、少しずつ好転していった気がします。

豊田章男氏との出会い。

現場の厳しさを学んだ豊田章男氏は2009年、社長に就任した

現場の厳しさを学んだ豊田章男氏は2009年、社長に就任した

ある日、部長に呼ばれ「豊田章一郎社長(当時)の御子息がトヨタに入られ元町工務部(愛知県豊田市)に配属された。今年2年目で君の課を担当してもらうことになった」と切り出されました。あわせて「昼から君の現場を御案内するように」との指示です。

なぜ私が新入社員の御案内をせにゃいかんのか。多少頭に来ましたが、どうせ甘ちゃんのボンボンだろうと高をくくっていたら、ガッチリした体格で腰が低く上品な青年が現れました。

こんな好青年を特別扱いしてダメにしてはいけないと思い「君は入社2年目か。目いっぱい叱られたことはあるか」と聞くと「ありません」との答え。「それは不幸なことだ。この一年幸せにするから覚悟しておけ」。本人は「よろしくお願いします」との返事です。そこで私は自分の部下には彼が社長の御子息であるということは伏せておくことにしました。

ある日、モデルチェンジのタイミングで旧型部品の打ち切り数を間違える事件が起きました。夜8時を回ったころです。豊田君が飛び込んできて「このままではラインが止まります。どうしましょうか」。

「どちらのミスかわからんが、こういう時に何とかするのが工務部の仕事じゃないのか」と言って追い返したところ、一目散に事務所を出ていきました。しかし一向に帰ってこないので部下に「豊田君はどこへ行った」と聞くと「9時ごろ一人で部品メーカーに取りに行きました」との答え。「お前ら、俺をクビにする気か。彼は社長の御曹司だぞ。何かあったらどうするんだ」。皆が真っ青になっているところに、本人は該当部品を担いで「どうだ」と言わんばかりの表情で帰ってきました。

皆に心配を掛けたことについてはきつく叱りましたが、そのメーカーは昼勤だけの会社で夜は守衛がいるだけです。守衛を起こし、工場に電気をつけ該当部品を探し当て「これが『かんばん』だ」と言って平社員の自分の名刺をかんばん代わりに一枚置いて部品を持ってきたとのこと。大した度胸です。こいつはただ者ではないなと、強く印象付けられた出来事でした。

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