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ベアリング大手の光洋精工(現ジェイテクト)の立て直しに参画した。

青山製作所から戻って2年後の1978年、次は光洋精工の立て直しに行けと指示されました。当時の光洋精工は赤字続き。日本のベアリング産業をつぶしてはならないと、トヨタが出資して傘下に収めました。

光洋精工(現ジェイテクト)の現在の東京工場(東京都羽村市)

光洋精工(現ジェイテクト)の現在の東京工場(東京都羽村市)

赤字とは言え大企業ですから、鈴村喜久男さんも陣頭指揮で半ば常駐。私のほか、ジェイテクト前会長の吉田紘司さん、中部経済同友会前代表幹事の箕浦輝幸さん、デンソー元副社長の岩月伸郎さんらがメンバーでした。当時は皆係長級で、大野学校のメンバーがそろって光洋精工の大阪国分工場(柏原市)に集結。研修所の宿泊施設に泊まり込んで改善活動を始めました。

基本的な取り組みは小ロットで売れた分だけを効率的に作るトヨタ生産方式の導入です。ただ、大ロット生産が生産性も高く原価も安いと長年にわたり信じきっている人々の頭を切り替えるのは容易ではありません。日本中の営業所から在庫を全て国分工場へ戻し、それを毎日配送できる物流ネットワークを構築するなど苦労の連続でした。

半年を費やし国分工場の改善のメドがついた時、鈴村さんに呼ばれ「林、おまえ出身は東京だったな。明日から羽村市にある光洋の東京工場へ行け」。東京に戻れると勇んで向かったものの、今までとは違ってチームメンバーもおらず独りです。緊張感を持って東京工場へ出社しました。

指示命令権のない改善指導は修羅場だった。

光洋精工の幹部の方々は私を「トヨタから来た改善の指導者」として丁寧に対応してくれましたが、現場ではそうはいきません。「兄ちゃん何しに来たの」「お前ベアリングつくったことあるのか」など全く取り付く島がありません。

特に手を焼いたのが第2労働組合のメンバーたちでした。夕方5時になると残業している人を誘って帰ってしまうのです。これには参りました。更に参ったのは、夜に私の宿舎まで押しかけて来て「経営者の犬、帰れ」のシュプレヒコール。初めての経験でしたがここで引き下がるわけにはいきません。「何だ。俺だってトヨタに帰れば組合員だ。君たちはこの会社を潰したいのか」とやりあい、何とかその夜は引き取ってもらいました。

翌日から彼らの職場に入り込み一つ一つ困り事を聞き出し、一緒に改善しながら仲間を増やしていきました。何とか形が整い帰任命令が出たのは、最初の指令から一年半後のこと。東京工場からは記念にといって立派な置き時計を頂きました。感動したのは一番抵抗した第2組合のメンバーが「俺たちの気持ちだ」と腕時計をプレゼントしてくれたことです。あきらめずに頑張って本当によかった。気持ちが通じた瞬間でした。

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