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美術展

スーラ・シニャック…新印象派 点描のマジック

2014/10/4

 19世紀末のフランスに生まれた「新印象派」は、光と色彩の追求という印象派のDNAを受け継いだ。点描によって絵画の地平をさらに切り開いた画家たちの冒険をたどってみよう。

 「クリシーのガスタンク」は新印象派の画家ポール・シニャック(1863~1935年)の初期の代表作。まずはその画面に目を凝らしてみよう。

 澄み切った空には斜めの筆触が交差するように重なり合う。みずみずしい生命力が宿る草地。数種類の緑色の粒が踊っている。屋根には赤やれんが色の斑点が水平方向に規則正しく並んでいるが、手前の屋根の左上などに、鮮烈な赤色の斑点がほんのわずか加えられているのが分かるだろうか。この色の存在に気づくと、くすんだ屋根のタイルが鮮度を増すように感じられるから不思議だ。点描のマジック。その豊かなバリエーションに驚かされる。

 印象派の画家たちは光に照らされる事物を明るい色調で写し取った。これを推し進め、絵の具を混ぜることなく色を点描に置き換え、見る者の網膜上で混ぜ合わせようと考えたのが新印象派である。ところが、「新印象派のプラグマティズム」(三元社)の著書がある埼玉大学の加藤有希子准教授はこの通説に疑問を投げかける。「新印象派の絵は本当に“明るい”と感じますか?」。彼らの目的は明るさの追求ではなかったというのだ。

 補色対比で色を際立たせるのも新印象派が広く取り入れた手法。「クリシーのガスタンク」でも、屋根の赤と草地の緑、空の青と地面の黄色が配置されているが「それぞれの色が互いに接していないことに注目してください」と加藤准教授は言う。

 補色対比の効果を最大限に生かすには、隣接させるほうがいい。しかしシニャックはそうはしなかった。新印象派の画家たちにとって重要なのは「均衡」。つまり、色の総量のバランスがとれていることだった。その思考には当時の社会的背景が色濃く反映していると加藤准教授は見る。

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 19世紀は産業と科学の時代だった。写真や電話機の発明、印刷技術の発展。1883年には大陸横断鉄道「オリエント急行」がパリとイスタンブールを結び、世界一の高さを誇るエッフェル塔が急ピッチの工事を経て89年に完成する。そのただ中、86年に開催された最後の印象派展(第8回印象派展)に出品したのがジョルジュ・スーラ(1859~91年)とシニャックだ。青年画家たちは米国の物理学者ルード、フランスの化学者シュヴルールらが提唱した最先端の光学・色彩理論をよりどころとする絵を描いて物議をかもす。「新印象派」の誕生である。

 色彩を見ることは「視神経の労働」であるとの考えも、こうした時代の産物にちがいない。

 「赤、緑、青を知覚する3視神経を均等に働かせ、偏った疲労を避けるため、ルードは補色対比の重要性を強調した」と加藤准教授は指摘する。「均衡」や「バランス」を重んじる傾向は工業化社会において「労働効率を高め、無駄を省くという社会的要請にも応えるものだった」と話す。

 「均衡」はまた、当時の健康志向とも結びついた。加藤准教授によると精神の安定を保つ手段としてカラーセラピーが社会に浸透。気分を高める時には赤い光、興奮を静めるには青い光を浴びるといった療法が広がる。

 こうした背景を知れば「オンフルールの港口」に塗り込まれたメッセージもおのずと浮かび上がる。画面を2分割する水平線。上向きのヨットの帆。中心にすっくと立つ灯台。空の虹。単なる風景画なのではない。調和のとれた生活を希求するポジティブな感性が伝わってはこないだろうか。

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