古関裕而の名前から、彼の作った曲をいくつあげられるだろうか。有名なのは、1964年の東京五輪で演奏された「オリンピック・マーチ」だろう。古関の曲とは知らなくても、阪神タイガースの応援歌「六甲おろし」や「モスラの歌」なら歌える方もいるかもしれない。実は、私がそうだった。
古関は、令和の現代において広く知られた人物ではないかもしれない。しかし、昭和の時代に活躍し、レコード歌謡、軍歌、ラジオドラマや映画の主題歌、校歌など、生涯に5000曲を作ったとも言われる作曲家だ。NHK連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルでもある。
本書『古関裕而の昭和史』は、公刊・未公刊の膨大な資料、家族やレコード会社関係者への取材などから、あまり知られてこなかった古関の人間性に迫っている。
■クラシックに挫折
著者の辻田真佐憲氏は、彼を「大衆音楽のよろず屋」と呼ぶ。ただし、"いつの時代にもいる"よろず屋ではなく、「昭和」のよろず屋だという。そこに、どんな意味があるのだろうか。
古関は、1909年、福島市で呉服店を営む裕福な家庭に生まれた。跡取りのお坊ちゃんとしてかわいがられて育ち、やさしく、謙虚で控えめな人柄だったという。横柄なヒットメーカーかと思いきや、本書に描かれる姿は意外にナイーブな印象だ。
高校時代にクラシック音楽に出会い、その道を志すも挫折。1930年、レコード会社のコロムビアに専属として採用され、流行歌の作曲家として、何とか音楽で食べられるようになる。日中戦争が勃発すると、古関は求められるまま、多くの軍歌を作曲した。「勝ってくるぞと勇ましく」で始まる「露営の歌」など、哀調を帯びつつも勇ましい古関独特の旋律は、大衆の心に響き、次々とヒットした。
戦後は、ラジオドラマの作曲家として活躍する。レコード歌謡に加え、テレビが普及すればテレビの音楽、高度経済成長期には山一証券など数多の企業の社歌も手掛けた。昭和を象徴する音楽を作り続けたといえる。
■昭和という時代を体現
著者によれば、昭和ほど、政治的、経済的、軍事的に、日本が世界に影響を及ぼした時代はなく、今後も望みがたい。日本にとって昭和は黄金時代であり、特別なのだ。著者が昭和を強調する意味は、そこにある。
では、古関はなぜ昭和に、国民的と言われるほど活躍できたのか。彼はじつは、生涯クラシックにこだわっていた。しかし、商業主義の中で大衆音楽を作り続けた。また、政治的な主義主張をほとんど持たなかった。故に、軍歌や自衛隊歌も作れば、「長崎の鐘」など戦争の悲劇がテーマの曲も作った。こうした古関の内面の屈折やねじれは、「帝国主義と平和主義、国粋主義と国際協調、滅私奉公と個人主義などのあいだで激しく揺れ動いた昭和日本の写し鏡となった」と、著者はいう。
挫折と成功を知り、内向的でありつつ世間にもてはやされた古関の人間性は、相対する主義主張が入り交じり、複雑に絡み合って繁栄した昭和という時代を体現していたのだろう。だからこそ彼の曲は、国民に浸透したに違いない。
登場する古関の曲を、YouTubeで次々と聞きながら読んだ。暗いニュースに沈みがちな今、彼のメロディーに背中を押された気がした。ぜひ本書を手に取って、古関の人間性に触れてほしい。
2020年から情報工場エディター。2008年以降、編集プロダクションにて書籍・雑誌・ウェブ媒体の文字コンテンツの企画・取材・執筆・編集に携わる。島根県浜田市出身。