「世の中に熱量を」 パーティークリエーターの仕事観
アフロマンスさん
泡にまみれて踊る泡パーティーや、街中を巨大スライダーで滑るイベントなど、誰もみたことがない非日常体験型コンテンツの企画で話題を集めるパーティークリエーターのアフロマンスさん。その活動の原点は大学生の時に友だちのために企画したバースデーパーティーだった。「自分の好きを仕事にするための第一歩は、それで食べていけるかどうかなんて気にせず、まずやること」と、アフロマンスさんはこれから社会に出る若者にエールを送る。
「パーティークリエーター」ってどんな仕事ですか?
多くの人が集まってワクワクする体験を共有する場「パーティー」をつくることがぼくの仕事です。
具体的には体験型イベントの企画制作から、メディアが取り上げたくなるPR戦略の立案、交流サイト(SNS)で投稿したくなる仕掛けまでを設計し、イベントを中心に世の中に熱量を生むために必要な企画やクリエイティブ全般に携わっています。
一般的なイベントプランナーとの違いがあるとすれば、誰も見たことがないイベントづくりに集中して取り組んでいることかもしれません。
「泡パーティー」も「Slide the City」もそうですが、コアとなるアイデアがしっかりある企画は、多くの人に「面白そう」「やってみたい」と心を動かす力があります。でも、こうした企画って絶妙なバランスの設計で成り立っているので、ビジネスライクな分業制ではなかなか成立しないんです。
話題性とクオリティーの高さに加えて、アイデアから実現までのスピード感も重要で、どうしても着想から実現までのプロセスに一から十までコミットできる人間が必要になります。つまりそれをやりきるのがぼくの役割です。
また、ぼくらが企画するイベントは、著名人のネームバリューではなく、イベントそのものの魅力で人を集めます。頭も使いますし手間暇もかかりますが、それでもぼくはありきたりなイベントをやるよりそっちの方が楽しいと思っているので、「どうしてもこの企画を実現したい!」という気持ちを原動力に仕事に取り組んでいます。
実はこうした考え方は、アフロマンスという名義でDJやイベント企画に携わりはじめた学生時代からあまり変わっていないんです。
経験のない学生がDJをやりたいと思ったら、イベントの主催者を紹介してもらってお願いしたり、先輩DJと仲良くなってイベントに呼んでもらったりするのが普通でしょうが、ぼくはそういうことがどうしても苦手で、当時から自己表現の場は自分でつくってきました。
その方が変なしがらみもなく、自由にやりたいことができる。だから、学生のころから慣れたこのやり方をいまも続けているんです。
18歳(2003年)
京都大学工学部建築学科に入学。3年生のころから「アフロマンス」名義でDJやクラブイベントの企画をはじめる
24歳(2009年)
大学を卒業後、広告会社に就職。広告プランナーに。会社員として働く傍ら、プライベートでDJ活動とパーティー企画の実現のために費やす日々を送る
27歳(2012年)
都内で初の泡パーティーを主催。定員300人のスペースに3000人を超える申し込みが殺到し、メディアやSNSで話題に
30歳(2015年)
街中に巨大ウオータースライダーを出現させる「Slide the City」、通勤通学前に踊れる「早朝フェス」など人気イベントの立ち上げに参画。同年6月広告会社を退社。独立する
33歳(2019年)
体験型イベントの企画・制作、情報拡散の設計、アーティストや企業、地方自治体とのコラボレーション、空間プロデュースなどに取り組む
パーティークリエーターの原点は?
原点は大学生のころに毎月友だちのために企画していたバースデーパーティーです。
友だちの誕生パーティーですから、そもそももうけようなんて思いませんし、お返しを期待してやるわけでもありません。純粋に友だちが喜んでいるのを見たいからやる。それだけのために毎月サプライズでパーティーを開いていました。
サプライズにこだわったのは、せっかくお祝いするなら本人が思いもしなかったレベルで喜んでもらいたいから。希望を聞いてから準備すれば外すことはないですけれど、想像は超えられませんからね。
本人には内緒で仲間集め、会場選びやフライヤーの制作、音楽や映像の準備など、パーティーに必要な要素をひとつずつ作り込んでいくのも楽しかったですし、本人のために考え抜いた企画が見事にはまって、主役が涙を流して喜んでいるのを見ると、パーティーに参加してくれた人も自分もハッピーになれます。そんな瞬間が何よりも好きでした。
作り手のエゴですが、自分のアイデアと企画の力でお客さんの心を揺さぶりたいんです。喜ばせたい、驚かせたいという衝動が自分の原点になっているから、いまも自分の頭や手を使って企画を練り、実現することにこだわっているんだと思います。
趣味から本業にしようと決めたきっかけは?
泡パーティーを開催した後、プライベートでやっているイベントが世間で話題になることが増え、動かす予算の額も期待される内容もそれなりに大きくなってきました。ただ、どこかで「楽しいからやっているだけのことを本業にしていいのか」という思いもあって、振りきれなかったんです。
そんな中、あるイベントでお客さんに「すごく救われた」といわれて驚きました。ぼくはただハッピーな気分をみんなと共有したいからやっていただけなのに、救われたといわれ「どういうこと?」って、少し混乱したのを覚えています。
よくよくその人に話を聞いてみると「普段の生活ですごくつらい思いをしていたけれど、このイベントに来て本当に解放されて、忘れられて、うれしかった」と。それで、ちょっと考えが変わりました。
ぼくらが向き合っているエンターテインメントって、食べ物を作ったり、病気を治したりするのと違って、生きていく上で一見必要なさそうに思えます。
でも、実は、楽しいエンターテインメントがなければ生きていけないような人もいて、そんな人を救う役目にもなっている。それなら、この活動に本腰を入れてやる意味があるかもなって。それをきっかけに、独立しました。
これから社会に出る若者たちに伝えたいことは?
「ミュージシャンになりたかったけれど、食べていけなさそうだから諦めて会社員になる」とか「ミュージシャンになる夢をかなえるなるため、退路を断って会社を辞める」とかいう人がいますよね。
そういう話を聞くたびに「生活費を稼ぐこと」と「やりたいことをやる」を混同している人が多いんだなって感じます。
ぼくだって、生計が立てられる見込みがあったからパーティーを企画するようになったわけじゃありませんし、そもそも会社員として収入があったから、パーティーで稼ぐつもりも、必要もありませんでした。
好きなことをやり続けていたら運良く生計が立てられるようになっただけだし、もし生計が立てられなくてもきっとやり続けていたと思います。だって稼ぐためじゃなくて、好きでやっていることでしたから。
ぼくからみなさんに伝えられることがあるとすれば、それは興味があったらまずやってみること。それで食べていけるかどうかなんて気にせず、まずやることです。
たとえば、クラブイベントが「好き」といってもその理由は決してひとつじゃありませんよね。だって、周囲にちやほやされるのが好きな人もいれば、もうかるから好きな人もいるでしょうし、ぼくのように人を喜ばせたいから好きという人もいるわけですから。
どうして好きなのか、どこが好きか、本当に好きかどうかは、やってみるまでわからないというのは本当です。
面白いと思ったらまずやってみて、もし向いていないと思ったら次を探す。それでいいんだと思います。そうやって早めにトライアンドエラーを繰り返していけば、自分の根っこにある価値観の解像度がどんどん上がって、自分の行動理念はここにあったんだったんだと気づくことができる。それが自分の好きを仕事にするための第一歩になるんだと思います。
何十年もたってから「あのときやっておけばよかった」なんて、後悔したくないじゃないですか。だから、いま興味があることから逃げないで、正面から向き合ってみたほうがいい。そうすればきっと悔いのない人生が送れるんじゃないかと思います。
(ライター 武田敏則)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。