「バーバリー」が社内ライバル 百貨店で陣取り合戦も
三陽商会社長 岩田功氏(上)
新しいコートを発表する岩田功社長(左)と、デザイナーの森下公則氏(2017年5月25日、東京都中央区)
三陽商会の岩田功社長(58)は百貨店の営業を経て、「サンヨーコート」の企画に携わった。
ものづくりは入社時からの希望で、デザイン画も自分で書きました。英「バーバリー」は社内のライバル。百貨店の売り場で面積をいかに広く取るかを競いました。店頭にも立ち、「バーバリーも良いですが、こちらは軽くて暖かくて安い」と薦めていました。
営業本部長だった中瀬雅通元社長からは数字に対する考えを教わりました。「数字は自分の戦略と思いが入っていないとダメ」という元会計士ならではの教えは今も身にしみています。
入社11年目で経営企画部門に移る。
いわた・いさお 1982年(昭57年)早大商卒、三陽商会入社。2013年取締役兼執行役員、14年取締役兼常務執行役員。17年1月から現職。横浜市出身。
楽しかった職場から移った経営企画は役所のようで、辞めようかと思いました。売り上げや利益、在庫などのデータを整理し、実績をまとめるのが主な仕事でした。
1998年に経営企画で課長に就きました。バブル崩壊後の激動の時代。それまでは百貨店への卸売りが主流でしたが、商品が売れるまでメーカーが責任を持つ「消化取引」も広がりつつありました。取引条件の整備や店舗運営をどうするかを現場と議論しました。
今となってはおかしな話ですが、経営企画と労働組合の本社支部長を3年ほど兼務しました。経営の中枢と組合の両面から会社と接したことで、客観的に会社を見ることができるようになりました。
2000年に創業家の中瀬社長が退任。後任で三井物産出身の田中和夫社長の右腕となった。
外部からのトップ登場で、オーナー経営から脱皮し、時代に合わせた経営体制に変わっていきました。創業者の権力が強いと社員は指示待ちになりやすい。改革を進めた田中さんは、現場が主体的に考えて行動するように変わるべきだと強く感じていたのです。私は社長に毎日付き添い、秘書のようでした。
会社として初めての中期経営計画を策定することになり、関連する本を買ったり外部のセミナーに行ったりして勉強しました。5カ年計画には、人事、物流、成長戦略など様々な構造改革を盛り込みました。
苦労したのは、田中さんのカタカナ言葉を理解することでした。商社出身ということもあり「コミットメント」や「レゾンデートル」などの外国語をよく使いました。当時は意味が分からず、早見表を作って必死についていきましたね。
三陽商会は戦後に防空暗幕や落下傘用の絹織物から作ったコートがヒット。1970年に英バーバリーのライセンス展開を始め、99年に20年の更新契約を結んだ。90年代後半はバブル崩壊で企業の経営破綻が相次いだ。消費不振が長期化し、百貨店業界にも暗い影を落とした。