魚の干物 日本人は身が上、中国人は皮が上が好き?
干物(7)
干物は皮が上か身が上か。世間では「どうでもいいこと」の一言で片づけられるに違いないこの問題が、当サイトで重要な論点になっていることを私は誇りに思う。
デスク胸を張って 私も誇りに思う。
エミー隊員 はいはい。
とーぜん当店においても、どっちが皿に盛るかで皿上の風景が違うのです。しかもお互いに絶対譲りません。あたしが、オレが、正しいと信念の人なのです。
地域差? 個人差? 家庭の事情? 名古屋だから?(じろまるいずみさん)
この違いは食べやすさからきているのだろうか。それとも美意識が反映しているのだろうか。
このメールを拝見していると、日中両国の美意識の違いを感じる。今朝、近所のスーパーをのぞいてみた。身が上の干物がずらりと並び、加工地はすべて国内。
ところが塩サバだけは皮が上なのでよく見ると、みごと「加工地 中華人民共和国」であった。オモロイのー。
2人で1尾を分けるときは真ん中で半分こにして、そのままかぶりつくこともあるなぁ。
デスクがお好きな骨からはがす「ペリペリ」は私も大好きですが、皮が上でも下でも関係なく食べられるのでは??? 私は最後には骨をしゃぶってしまうのでどっちでも別にいいんですけど……という感じでしょうか(栗猫さん)
このように、どっちでもいいという考えもある。実は私も食べる立場としてはどっちでもいい。だが、観察者としては揺るがせにできない。越前海岸のホテルで出た朝食のアジの開きは全面的に皮が上であった。いま思い出した。で、このメール。
というわけで、VOTEしないわけにはいかないであろう。こんなテーマで大の大人が何千人も「皮だ」「身だ」と投票しようといることを、できれば世間に知られたくないものである。
デスク提言 さらにどうでもいいいちゃぁどうでもいい疑問なんですけど――。最近、旅館の朝食の干物(たいていがアジの開き)が必ずと言っていいほど鉄板にのって出てくるのにはどうにも納得がいきません。本来、干物というか焼き魚は野瀬の好きな「焼き網」で焼くものだと思うのです。鍋物につかう固形燃料で「あたたかくしてどうぞ」という意図なんでしょうが、あれでは「干物のソテー」になってしまうと思うのです――。
そんなもん見たことないよ。一体どんな旅館に泊まったの?!
干物の中にはやたら硬いものがある。食べるのにこんな道具まで登場する。
食べ方が変わっていました。そのまま焼くのではないのです。とんかちでばしばし叩いて、身を柔らかくしてから火であぶり、ちょいと醤油をたらしてさくさく齧りました。
暇があると、母はでべらをとんかちでやっつけていました。あれは正しい食べ方だったのでしょうか。ひょっとすると母のストレス解消法だったのかも……と思う今日このごろです(シンガポールの星のあいすさん)
かなづちで叩くというのはパッケージに書かれたいわゆる「正規の」食べ方です。よく食べる家には食卓にコマイ用のかなづちがあるのでしょうか?
別件です。私出身が神奈川なもので、ときどき「コロッケそば」が無性に食べたくなります。特に小田急線沿線で展開している「箱根そば」のコロッケそばをホームシックのように食べたくなるときがあります。
コロッケそばって結構地域限定らしく、多分日経新聞社周辺でも存在するとは思いますが、南関東を離れるとほとんど見かけません。北海道人に「コロッケそば」を説明するときには「そばにコロッケがのっかっている」だけではなく「月見そばのようにコロッケを汁に崩しながら食べる」ことも説明が必要です(札幌の子連れパパさん)
とんかちで叩かないと噛めない「でべら」に「コマイ」。そんなに硬い食べ物が世の中にあっていいものだろうか。日本歯科医師会はどう考えているのだろうか。
デスク反論 歯医者さんは丈夫な歯のためには固いものを食べましょうってよく言いますよ。
それ、どこの歯医者さん? ちょっと話し合ってみたい。
コロッケそばは、かねてテーマに取り上げるよう多くの方からご提案いただいている物件である。
明治18(1885)年、いまは銀座にあるそば屋「よし田」が浜町で開店した当時からのメニュー。明治の東京生まれである。ただ、戦前までは鶏のつくねを揚げたものだったとか(森まゆみ著『明治・大正を食べ歩く』)。
うどん、そばの種については確かにいろいろありそうである。
(特任編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
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